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無心と憐れみの霊性に基づくケアと連帯

――宗教知の協働に向けた聖書・教父思想の再解釈

山根息吹氏

おわりに

本論では、無心や場所的論理、意識の深層といった視点を持つことによって、聖書思想および教父思想における憐れみ・愛の霊性的次元をより一層明らかにすることができた。同時にその再解釈により、東洋的・仏教的宗教知に基づいて「無心」の他者論的かつ社会的次元を模索する坂井、西平らの議論に、キリスト教の立場から本格的に参画する方向性を示すことができたのではないかと考える。

その際私は、「無心」はそれ自体としては必ずしも常に、他者に開かれた愛の行為につながるものではないし、ましてや社会によって疎外されてしまった人々との連帯を創り出すものでもないと理解する立場を取った。つまり、無条件に「無心」をケアの根拠や愛の連帯に基づく「「権力に対する抵抗」の根拠」として捉えることは困難であるがゆえに、社会・権力によって「不必要なもの」に分類された人々との連帯を湧き上がらせる「無心」の在り方が切に求められるのである。

現代社会にあってこのような課題と向き合う私たちにとって、初期キリスト教の教父たちが、神と他者への愛と結びつかない、自己完結した「無心」(神秘体験)が自己目的的に求められることに対して否定的な立場をとり、「憐れみに突き動かされる」神の働く「場所」となることを求める霊性に、浄化・無心を目的づけた点は殊に重要になる。この教父たちの立場は、人間の「無心」を場所として、ケアを生み出す大いなる存在を「法蔵菩薩」として捉える坂井の思想と深く共鳴しよう6363坂井祐円「傷ついた癒し手としての法蔵菩薩」、『ケアの根源を求めて』西平直・中川吉晴編、晃洋書房、2017年、80-4頁。。また、ケアと連帯を生み出す大いなる存在を「阿弥陀のいのち」や「大悲」と言うこともできる。宗教・宗派を超える表現として、宮沢賢治がキリスト者の高瀬露に宛てた書簡の言葉を借りれば、それを「あらゆる生物をほんとうの幸福に齎したいと考えている」「宇宙意志」6464『宮沢賢治全集7』、ちくま文庫、1992年、554頁。と呼ぶこともできよう。

『パウロの神秘論』で宮本は、パウロの理解する聖霊の働きは、「真の愛を生きる人々に霊の実を実らせ、各宗教の聖者や無名の人々を生かし続けるエネルギー」であると指摘し、聖霊は「ガンジー、マザー・テレサ、アッシジのフランチェスコ、親鸞、良寛などの上にも息吹く」と捉えるヴィジョンを提示している6565宮本、『パウロの神秘論』、457頁。。同様に仏教の立場から言えば、キリスト教信仰に基づいて小さくされた人々との連帯の生涯を生きた賀川豊彦や中村哲医師などの中に法蔵菩薩の働きを見出すことができるのではないだろうか。賢治が、「お互いほかの神さまを信じる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう」(「銀河鉄道の夜」三次稿)6666『宮沢賢治全集9』、筑摩書房(ちくま文庫)、1995年、348頁。と言う時、賢治は単に他宗教の人々による人道的な善行に対して共感し合うことができるといった次元で考えているのではない。賢治が「涙がこぼれる」とまで言うその言葉は、自らがタゴールや成瀬仁蔵、賀川豊彦らを突き動かす「十力の作用」(「虔十公園林」)を感じ取り、烈しく心を打たれた体験から生まれた言葉であると理解される必要があろう6767山根知子『賢治の前を歩んだ妹 宮沢トシの勇進』、春風社、2023年。山根知子「宮沢賢治と賀川豊彦における「宇宙意志」―信仰・思想・実践の共振」、『ノートルダム清心女子大学キリスト教文化研究所年報』、第43号、2022年、1-36頁。

ここまで見てきたように、ケアや愛の連帯を無心・中動態の行為として、人間の表層意識より深い次元から捉えようとする議論は、宗教思想に限りなく接近していくはずである。つまり、ケアや愛の連帯の中動態性を問題にするためには、意識の根底へと眼をむける必要があるにちがいなく、その領域をめぐる宗教の実践知の豊かな遺産には、計り知れない価値がある。だからこそ、無心・中動態的ケアと愛の連帯の原動力の根源を明確に捉え、いかにその根拠とつながって愛のエネルギーを湧き上がらせるかというケアと連帯の課題をめぐる対話に、宗教思想が宗教・宗派の枠組みを越えて協働しつつ、参画していくことの重要性は、いくら強調しても強調しすぎることはないのである。

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