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無心と憐れみの霊性に基づくケアと連帯

――宗教知の協働に向けた聖書・教父思想の再解釈

山根息吹氏

他方で西平は、世阿弥の稽古論から鈴木大拙や西田幾多郎の宗教思想に至るまで横断的に「無心」をめぐる問題をライフワークとして探究しており88西平直『無心のダイナミズム―「しなやかさ」の系譜』、岩波書店、2014年。、『無心のケア』では、グリーフケアの実践における「無心」の重要性を主張する99西平直「「無心のケア」という問題提起」、『無心のケア』、34-41頁。。また、『ライフサイクルの哲学』(2019年)において西平は、「無心の追求は個人の内面に閉じこもることと理解され、社会的問題に対して「超然と構える」仕方で無関心を招いてきた」と見なす批判が少なからず存在する中で、「「権力に対する抵抗」の根拠としての無心を読み直す」可能性を模索している1010西平直『ライフサイクルの哲学』、東京大学出版会、234頁。。この点に関して『無心のダイナミズム』において西平は、より具体的に石田梅岩を取りあげながら、「無心が、「天地の心」に従うことであり、「万事、物の法に随うのみ」をそのままに生きることであるなら、「物の法」の貫徹として、「物の法に合致しない」社会の不正に対して異議を申し立てることがあっても不思議ではない」と論じている1111西平、『無心のダイナミズム』、175-6頁。

私は、このように他者や歴史世界に開かれた「無心」の可能性を探究する西平の問題意識に強く共感する。その上で、現代社会の危機的状況を前にして私は、万人から生のかけがえのなさ・唯一 一回性を奪って自己のシステムに同化し、その中に同化し得ない人間は「非存在」と見なして「生きる資格のないもの」というカテゴリーに組み込む「根源悪」の働き1212宮本久雄『言語と証人―根源悪から人間変容の神秘、そしてエヒイェロギアの誕生へ』、東京大学出版会、2022年、19-32頁。に抗する「無心」の可能性を問題にしなくてはならないと考える。別の表現を用いれば、「周縁にいる人々を不必要なものに分類し、彼らを周縁の彼方にある「非存在」の領域」に押しやるという「暴力的権力」1313ジュディス・バトラー『非暴力の力』、佐藤嘉幸・清水知子訳、青土社、2023年、33頁。に対して抵抗する力ともなり得る「無心」の在り方を、より踏み込んで問うていきたい。つまり、「無心」の他者性、社会性を問題にする時、私たちの社会において「喪失されることも哀悼されることもあり得ないかのように扱われる生」1414同書、21頁。があるという問題に対して、「無心」がいかなる批判力を果たし得るかを第一に問わなくてはならないと考える1515私は、「無心」の他者性、社会性を論じる上で、向き合う必要のある課題を明確化するために、宮本とバトラーの言葉を借りた。おそらく宮本も、バトラーが問題にする「哀悼不可能な生」というカテゴリーを作り出す権力・社会構造に、「根源悪」の働きを見出すであろう。他方で、宮本とバトラーが考える、根源悪の超克に向かう道は異なるが、その詳細な比較は本論の課題を超えるため、ここでは両者の問題意識の重なりを指摘するにとどめたい。

 本論では、以上のような問題意識に基づいて、新約聖書が伝えるイエスの愛・憐れみが、当時の宗教的・社会的権力によってまさに「不必要なもの」に分類され「周縁の彼方にある「非存在」の領域」」へと押しやられた人々との連帯を生み出すものであったという点に注目する1616宮本、『言語と証人』、6-7頁。。その上で、具体的な聖書テキストの解釈を通して、そのイエスやパウロが示す愛・憐れみが、博愛主義的道徳といった「〈意識のレベル〉」においては捉え尽くすことはできず、無心や超越に開かれた意識の深層、場所的論理1717西田幾多郎「場所的論理と宗教的世界観」、『西田幾多郎哲学論集III』、上田閑照編、岩波書店、2016年、299-397頁。といった霊性の次元において理解される必要があることを論じていく(1、2節)。

さらに、その憐れみの霊性の他者論的可能性を具体的に示すために、看護史上最古の病院の1つとされる「バシレイアス」の創設者であり、飢饉に際する大規模な救貧活動や難民・寄留民の保護をおこなった4世紀の教父バシレイオスと、その弟でハンセン病患者を含む病者・貧者の看護・保護に従事したニュッサのグレゴリオスの霊性を取りあげ、無心や場所的論理といった観点から考察する(3節)。その作業を通して、無心の宗教性に基づくケアと連帯に向けて、東洋的・仏教的宗教知とキリスト教が協働する地平を探究する。

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