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無心と憐れみの霊性に基づくケアと連帯

――宗教知の協働に向けた聖書・教父思想の再解釈

山根息吹氏

1 共観福音書における「憐れみに突き動かされる」という中動態

まず共観福音書が、イエスの示す愛を表現する際に繰り返し使用している中動態の動詞「憐れみに突き動かされる(σπλαγχνίζεσθαι)」の用例に注目していく3434M. J. J. Menken, “The Position of ΣΠΛΑΓΧΝΙΖΕΣΘΑΙ and ΣΠΛΑΓΧΝΑ in the Gospel of Luke.” Novum Testamentum, XXX, 2, 1988.。その考察を通して、福音書における「憐れみに突き動かされる・スプランクニゾマイ」が、「無心のケア」と深く関わる点を示していきたい。

語源的にこの「スプランクニゾマイ」は、名詞「腸(スプランクノン)」から作られ、身体性と強く結びついた中動態動詞で、「腸が引き裂かれるような思い」を意味する。新共同訳聖書では、「深く憐れむ」、「憐れに思う」等と訳されているが、本論ではその中動態性を強調するために、「憐れみに突き動かされる」という私訳を用いることにしたい。

この動詞「憐れみに突き動かされる」は、共観福音書において合計12回使用され、そのうち9回は、イエスが主語になっている。残りの3回の用例は、イエスが語る譬え話の中で使用され、そのうち2回においては、「放蕩息子」を迎え入れる父親など、神の姿を譬えて表す人物が主語になっている。それゆえに、「憐れみに突き動かされる」の主語となる存在は、第一義的にはイエスないしは神である。唯一の例外は、イエスが隣人愛について語る「よきサマリア人の譬え」においてサマリア人が主語となる箇所に見いだされる。

以上の点を踏まえながら、①病人に対するイエスの憐れみ、②罪人に対する神の憐れみ、③隣人愛の教えにおける憐れみが、「スプランクニゾマイ」という中動態によって表現されている3つの用例を取り上げて考察する。

① 病人に対するイエスの憐れみ

まず、病人の苦しみに共苦・共感するイエスの姿が、「憐れみに突き動かされる」という中動態で表現されている用例に注目したい。

さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「あなたが望んでくだされば、あなたは、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが、憐れみに突き動かされて(σπλαγχνισθεὶς)、手を差し伸べてその人に触れ、「わたしはそう望みます。清くおなりなさい」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。(『マルコによる福音書』1章40-2節 傍線引用者・以下同)3535本論における聖書引用は、基本的には『聖書 新共同訳』(日本聖書協会編)に依拠したが、Novum Testamentum Graece. Nestle-Aland 28th Edition. Deutsche Bibelgesellschaft. の原文に基づき、一部変更を加えた。

これは癒しの奇蹟物語であるが、それ以上にイエスが「重い皮膚病を患っている人」の苦しみを感受して「憐れみに突き動かされ」、その病者に手を触れたことの重要性に目を向けたい。その際、当時のユダヤ社会のなかで「重い皮膚病を患っている人」が置かれていた境遇について理解することが重要になる。新共同訳で「重い皮膚病を患っている人」と訳されている「レプロス(λεπρός)」は、ハンセン病を含む様々な皮膚病の患者を意味し、ユダヤ教の律法によって宗教的な汚れ・罪と結びつけられていたため、その病者は、社会から完全に追放されていた3636Robert H. Stein, Mark. Baker Academic, 2008, p. 105.。それゆえに、その重い皮膚病の患者が、律法における隔離の規定にも拘らず、イエスに近づいても追い返されず、迎え入れられることを直感してイエスのところに来たこと自体が、まず驚くべき出来事であった。

そのような重い皮膚病の患者を迎え入れるイエスの姿が、「憐れみに突き動かされる」という中動態動詞で表現されているということは、イエスが体現した愛が、道徳律による理性の命令や強い意志による能動的博愛の行為ではなく、苦しむ他者に共感・共苦する「無心」の応答であった点を示している。

同時に、「憐れみに突き動かされる」イエスの愛は、上から目線の憐憫と異なり、他者の苦しみを和らげる行動と深く結びついている。この点に関してイエスが「憐れみに突き動かされて」その患者に「触れた」という行為の重みに注目したい。ユダヤ教の律法においては、重い皮膚病の患者に触れた人自身も、宗教的に汚れた存在になるとされていた3737Ibid., p. 106.。それゆえに、「憐れみに突き動かされて」重い皮膚病の患者に触れるイエスの姿には、社会的・宗教的弱者に対する排除の原理として働く律法を超克していく愛の強さを読み取ることができる。

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