第20回「涙骨賞」受賞論文 本賞
『生命の革新』としての限界芸術
――クームラズワミとデューイの『ヴィジョン』を手がかりに
秋田光軌氏
註
- 矢野智司『幼児理解の現象学 メディアが開く子どもの生命世界』萌文書林, 2014, p.243
- 矢野智司『意味が躍動する生とは何か 遊ぶ子どもの人間学』世織書房, 2006, pp.106-108
- 島薗進は「個人は、堅固な共同体を通して伝承された価値や文化を受け継ぎ宗教的な観念や実践にふれる度合いが低くなっている。いわば裸で実存的な危機に直面しており、個々人それぞれの、またそのつどぶちあたる個々の危機に相応した交わりやネットワーク(中略)を通して、超越的なものとの出会いを成しとげていかなくてはならない」と、個人の再聖化(宗教化)の傾向を指摘する(島薗進『スピリチュアリティの興隆 新霊性文化とその周辺』岩波書店, 2007, pp.295-296)。また、排他主義的で内閉的な宗教集団の興隆についても、個人化に対抗し、集団的連帯を目指した選択を行う点で、共通の傾向を反映するものだとしている(同書pp.298-301)。
- 矢野, 前掲注1, pp.268-271
- 鶴見俊輔「芸術の発展」『限界芸術論』所収, 筑摩書房, 1999(1960), p.16
- 吉田達「鶴見俊輔の『限界芸術』概念を巡って―鶴見俊輔論のための素描―」『中央大学論集 第33号』所収, 中央大学, 2012, p31
- 鶴見俊輔「限界芸術論再説」『現代デザイン講座=4 デザインの領域』所収, 風土社, 1969, p.72
- 同上書, pp.75-76
- 寺田征也「鶴見俊輔『限界芸術』論の再検討」『社会学年報 第45号』所収, 東北社会学会, 2016, pp.69-70
- 吉田, 前掲注6, p.27
- 林三博「日常的思想とその限界―鶴見俊輔による大衆文化論の軌跡―」『年報社会学論集 第23号』所収, 関東社会学会, 2010, p.136
- 同上書, p.137
- 鶴見, 前掲注7, p.77
- 同上書, p.78
- 熊倉敬聡は、同じ引用箇所のみをもって限界芸術が「宇宙論的な営み」であると主張するが、この箇所がスナイダーの説であることに触れていないため、やや性急な論の運びであると言わざるをえない(熊倉敬聡『GEIDO論』春秋社, 2021, pp.48-49)。
- 「仏教アナキズム」については「法は受け止めるが、自分の信念は別のところから出るので、国の法律から受け取るのではないということ」とだけ説明されている(鶴見俊輔『かくれ佛教』ダイヤモンド社, 2010, pp.17-18)。『かくれ佛教』という書名に表れているように、宗教への信仰には慎重に距離を保ちつつ、仏教のアナキズム的性格と立場を同じくするということだろう。
- 鶴見,前掲注16, pp.16-17
- 鶴見俊輔「著者自身による解説」前掲注5, p.446。クームラズワミの他に、C・S・パース、ウィリアム・ジェイムズ、G・H・ミード、ジョン・デューイ、ハヴェロック・エリス、ラビンドラナート・タゴール、ハーバート・リード、エリック・ギル、ピョートル・クロポトキンといった名前が挙げられており、限界芸術概念が実に多様な影響下で育まれたことがわかるが、本稿はクームラズワミとデューイの二人が最重要だという立場である。
- 鶴見, 前掲注5, p.16
- Ananda Kentish Coomaraswamy, Christian and Oriental Philosophy of Art, Dover Publications INC, 2011(1956), p.98. なお、翻訳は引用者によるものである。
- Ibid., p.37
- Ibid., p.111
- 同書で述べているように、クームラズワミは自身の論の正確な典拠を明らかにしていない(Ibid., p.23)が、引用されているトマス・アクィナスやマイスター・エックハルトらの芸術観をまとめた理論であることが予想される。ウンベルト・エーコは、トマス・アクィナスについての著作で「芸術の担い手には、鍛冶屋、雄弁家、詩人、画家、羊毛の毛刈り職人がいる。芸術の概念は広く、私たちが工芸や技術と呼ぶ領域も含まれる。芸術の理論とは、何よりも 仕事の理論 である」と書いている(ウンベルト・エーコ『中世の美学 トマス・アクィナスの美の思想』慶應義塾大学出版会, 和田忠彦監訳, 石田隆太・石井沙和訳, 2022, pp.207-208)。また村田純一は、エックハルトが「日々の生活に必要なさまざまな仕事に従事することが敬虔な祈りや内面への沈潜などと比較して劣っているわけではないどころか、むしろ後者よりも神に近づく道である」ことを強調した、と指摘する(村田純一『技術の哲学 古代ギリシャから現代まで』講談社, 2023(2009), p.92)。『キリスト教と 東洋の 芸術哲学』(傍点筆者)と題されてはいるが、同書における東洋芸術の事例はあくまで中世キリスト教の芸術観と一致するものとして解釈されている。別の著作(Ananda Kentish Coomaraswamy, The Transformation of Nature in Art, Dover Publications INC, 1956)ではアジアの芸術理論が主題となっているが、クームラズワミの芸術論において中世キリスト教と東洋の差異がどう考えられているのかについては、今後の研究課題のひとつとしたい。
- 寺田, 前掲注9の他、佐藤光「鶴見俊輔の『ネガティブ・ケイパビリティ』―ジョン・デューイ『経験としての芸術』の影響の可能性」『超域文化科学紀要 第27号』所収, 東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻, 2022 など。