『生命の革新』としての限界芸術
――クームラズワミとデューイの『ヴィジョン』を手がかりに
科学的・技術的知識や行動形式が、想像力によってもたらされるヴィジョンを表現する道具となる時、科学者・技術者はそのままで芸術家となる。それは労働ではあるが、ヴィジョンによって明るくされているために、どんなに苦しくても苦役ではない。また、宇宙全体についてのヴィジョンは「未来圏から吹いてくる風」「銀河鉄道」等とさまざまに呼ばれるが、生前や死後も含めて宇宙史の立場から自分の人生を芸術として眺め、自分の行動に今まで以上の表現力をもたせることが可能であると、鶴見は述べている。デューイもまた、優しさや謙虚な人々の偉大な行為がそれに出会う人を深めてくれるならば芸術と呼べるという立場であり4545行安, 前掲注28, p.232、鶴見の論はまさしく宮沢賢治を通じたデューイ芸術論の変奏となっている。
鶴見は、宮沢にとって芸術をつくる主体とは、芸術家ではないひとりひとりの個人であるというが、これはもちろん単なる近代的個人のことではない。宮沢の創作には、他者からどんなにバカにされても怒ったり呪ったりすることのない無心的存在として、ベゴ石、白象、デクノボーといったシンボルが描かれる。われわれは生きているかぎりデクノボーになりきれない「修羅」であるが、それでも「修羅」が自分の力でデクノボーに向かって道筋をきりひらくことの中に、宮沢の限界芸術が成立する。ここに、まさに宇宙全体についてのヴィジョンと、個に執着するエゴイズムから離れることの関連が示唆されているのである。
柳田、柳、宮沢のアプローチを辿ることで、鶴見自身がクームラズワミからデューイに至って構想した芸術観が、日本において応用されていることを確認した。本稿が先に触れた「再説」の問題――レックスロスから聞いたスナイダーの説として述べられたテクストが、限界芸術を「個人の私的な領域の基礎」と見なす先行研究の解釈と矛盾するという点――について、私たちは、今や正確に理解することができるだろう。「再説」においては単に「個人の私的な領域の基礎」や「自分なりの生き方をつらぬく姿勢」が主張されたのではない。また、限界芸術の「集団社会宇宙」への広がりが断念されたのでもない。「芸術の発展」と「再説」は一貫して、多様な個人の限界芸術が、宇宙のダンスへの参加、個への執着から離れた生につながることを述べているのである。
「自分はこう生きたいんだ」という本来の要求を、想像力によって仕事や活動に結びつけ、さまざまな媒体を通じて表現すること。「経験を〈一つの経験として〉形成する」この段階が、他の超越的目的によって見過ごされてはならない。だが同時に、美的経験がいっそう高まっていくならば、人間の経験それ自体に備わる宗教的性質、宇宙全体についてのヴィジョンにどこかで触れることになる。そして「自己のむこうにあるこの広大無辺な世界の市民」のまなざしが、また個としての営みに持ち帰られていく。なすことと受け取ること、自己の要求を表現することと自己から脱け出すことを往復し、一つに結合する運動が、限界芸術の総体である。これが先行研究に欠けている視点なのだ4646そもそも「再説」で趣味の骨格の形成について語られるとき、中林悟竹の砂の上に指で文字を描くという行為は、文字が波にさらわれて消えていくことで個性を脱出し、文化をもっている人物としての共同性に目覚める可能性と合わせて言及されていた(鶴見, 前掲注7, p.72)。趣味の骨格の形成は「個人の私的な領域の基礎」であると同時に、私的領域からの離脱としての両義性をもつのである。。