重要文化財新指定の「中山法華経寺文書」その全貌(1/2ページ)
立正大名誉教授 中尾堯氏
日蓮宗の大本山として知られる中山法華経寺の古文書839点が、令和5年度の国の重要文化財に新指定された。すでに指定を受けている国宝・重要文化財76点を加えると915点にも上り、質量ともに豊かな文書群である。
中山法華経寺の古文書は、他に類例のない特徴を持っている。それは、日蓮聖人が立教開宗した建長5(1253)年よりも前の建長元(1249)年から、明治初期に至る620年にもわたる古文書が伝来していることである。
昭和42年夏、聖教殿という宝蔵に納められている、日蓮聖人ご真蹟の『要文集』4冊の紙背から、富木常忍にまつわる古文書がみつかった。そのうち『双紙要文』の袋綴じになった冊子の紙背に、建長元年から2年にわたる古文書と、「沙弥常忍陳状」という富木常忍の文書がある。
富木常忍は、下総国(千葉県)の守護の地位にある千葉介頼胤の家臣で、政務にいそしむ毎日を送っていた。早くから日蓮聖人の信者となり、もっとも信頼されたひとりである。聖人の入滅後には、自ら出家して日常と称し、自宅を法華寺に改めて住持となった。
この寺が今の中山法華経寺で、その開祖が日常その人である。つまり、日常が日蓮聖人の信者になる前からの古文書で、紙背文書にしろ今日に伝わっているのは、他では見られない特質である。
富木常忍は、日蓮聖人から度々書状や信仰の書などを送られ、これを「聖教」として護持することを自らの使命とした。『観心本尊抄』には特に気を配り、次の日高の代に『立正安国論』が加わって、共に国宝に指定されている。その他の日蓮聖人の御真蹟は、すべて国の重要文化財である。
そのほか未指定の聖教を含め、もっとも重要な鎌倉時代の典籍・古文書が聖教殿に納まっている。このたび新たに指定された古文書は、本院に納まっている古文書である。時代的には開山の日常から明治期に至り、内容は中世と近世に二分される。
中世文書については、昭和34年から研究に着手し、昭和43年に吉川弘文館から出版した中尾堯編『中山法華経寺史料』のなかに、「中山法華経寺文書Ⅰ」として収録した。ここには、鎌倉時代末(13世紀末)から近世初頭(17世紀半ば)に至るまでの、85点ほどの古文書を収めている。
これらの古文書の内容は、中山法華経寺一門の掟と寺院の継承を定めた置文・譲状などと、俗別当(大檀那)としての千葉氏一族に関係する文書である。さらには、貫首と末寺の取り決めに関する文書が加わっている。
中世文書の冒頭は、開山の常修院日常の「日常置文」で、鎌倉時代後期の永仁7(1299)年3月4日付となっている。今度の指定にあたっては、本書ではなくて写本とされている。
この置文とは、亡きあとの心得を記したいわば遺書のことで、中山法華経寺一門の承知しておくべき事柄が、明確に述べられている。日常はその冒頭で、「(日蓮)聖人御書ならびに六十巻以下の聖教等は寺中を出すべからず」と、なによりも日蓮聖人の真蹟遺文を護持することを命じている。
この方針を実行するには、『観心本尊抄』をはじめとする日蓮聖人の聖教を納めた蔵に当番の僧を置き、厳重に護持しなくてはならない。中山法華経寺に多くの聖教が伝来しているのは、ひとえにこの置文の定めを、歴代の住持が厳格に受け継いできたからである。