《浄土宗開宗850年③》『選択本願念仏集』廬山寺本の研究から見える法然教学の深化(1/2ページ)
浄土宗総合研究所研究員 春本龍彬氏
浄土宗の開宗について、『法然上人行状絵図』の第6巻には、「法然上人は、…ついに『一心専念 弥陀名号 行住坐臥 不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼仏願故…』という一節に至って、末法の世に生きる凡夫は阿弥陀仏の名号を称えれば、この仏の本願に乗って、間違いなく往生できるはずだという道理を確信された。…承安五年(一一七五)の春、上人四十三歳の時、すぐさま諸行を捨てて、一筋に念仏の教えに帰依されたのであった」(『現代語訳 法然上人行状絵図』、以下『絵図』)と記されている。
これによれば、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけて仏道に全てを捧げた法然上人(1133~1212、以下は基本的に敬称略)が、中国の唐時代初期に活躍した善導(613~681)の『観経疏』における「一心にもっぱら阿弥陀仏の名号を称えて、何時いかなることをしていても、時間の長短に関わらず、常に称え続けてやめないこと、これを正定の業というのである。それは、阿弥陀仏の本願の意趣に適っているからである」(『絵図』)という一文、通称「一心専念の文」によって、1175(承安5)年に、阿弥陀仏の本願にしたがった称名念仏の行で、阿弥陀仏の極楽浄土へ往生する道である浄土宗を開宗するに至ったといえる。
浄土宗の開宗をめぐっては、過去に開宗の根拠となった一文や開宗の年時をはじめとしたいくつかの事柄に関して、様々な見解が提示されたりもしたが、その後に研究が進み、現時点では法然自身の著作の内容、および伝持されてきた法然自身の言葉などとも整合性のとれる、上述したような開宗の受け止め方が妥当なものとして広く認められている。
ただし、一方でそうした浄土宗開宗の出来事と関連して、大変興味深い事象がある。それは、浄土宗が開宗された時をもって、浄土宗を開宗した法然の思想が固定化された訳ではなく、浄土宗開宗以後も、法然の思想が変遷していったと見られることである。
元来、法然の思想に変遷があると文献学的に強く主張したのは、石井教道氏(1886~1962)である。石井氏は法然の思想を捉えるにあたり、思想史的研究の重要性を説き、法然が選択本願念仏思想に達するまでの間には、【第一期】浅劣念仏期(要集浄土教時代、万行随一念仏期、恵心時代、往生要集念仏期、恵心念仏期などとも)、【第二期】本願念仏期(善導念仏時代、善導時代などとも)、【第三期】選択念仏期(元祖独創時代などとも)という三期の区分があったと指摘した(石井教道・大橋俊雄「序」『昭和新修法然上人全集』、石井教道「元祖教学の思想史的研究」など)。
そして、そうした石井氏の見解は、あまたの研究者に影響を与え、それ以降、石井氏の見解をベースとした法然の思想研究が数多く行われていき、今では骨子こそ変わらないものの、三期の区分は【第一期】浅劣念仏期:「源信(942~1017)の解釈を参考にした念仏観が主流の時期」、【第二期】本願念仏期:「善導の解釈を参考にした阿弥陀仏の本願に基づく念仏観が主流の時期」、【第三期】選択本願念仏期(前期):「善導の解釈を参考にした阿弥陀仏の本願に基づく念仏は、阿弥陀仏が選択している念仏であるという念仏観が主流の時期」、同(後期):「善導の解釈を参考にした阿弥陀仏の本願に基づく念仏は、善導弥陀化身説による遍依善導一師の立場を踏まえると、阿弥陀仏・釈迦仏・諸仏が同心に選択している念仏であるという念仏観が主流の時期」と細分化できるのではないかとされている。
加えて、法然の思想史という観点からすれば、第三期の後は、第三期で確立された選択本願念仏思想と三心、あるいは四修などとの関わり合いにまつわる教義が整理されるとともに、それが信者や門弟に伝えられていった経緯があるので、【第四期】布教・伝道期:「安心論や作業論が展開された時期」とも呼称し得る時期になると論じられている(林田康順「『選択集』における善導弥陀化身説の意義」、同「法然上人の思想史構築を目指して」など)。