《浄土宗開宗850年③》『選択本願念仏集』廬山寺本の研究から見える法然教学の深化(2/2ページ)
浄土宗総合研究所研究員 春本龍彬氏
実際に、法然の遺文の中でも、特に教義書と呼ばれる文献群に焦点をあてて、それらを時系列的に並べてみると分かるが、確かに文献によって示されている内容には差異がある。したがって、法然の思想に変遷があるというのは、文献学的に疑いのない事実である。
また、そのような事実がある中で、法然の思想変遷を視覚的に見て取れる貴重な写本が、京都市上京区の廬山寺に所蔵されている『選択本願念仏集』、すなわち『選択本願念仏集』廬山寺本となっている。
『選択本願念仏集』は、法然の主著として有名である。『選択本願念仏集』撰述の契機については、『法然上人行状絵図』の第11巻に「建久八年(一一九七)、法然上人は少しばかり病気になられることがあった。…同九年…兼実公は右衛門の尉の藤原重経を使者として遣わし、『浄土の法門について、何年も教えやいましめを承ってきたとはいっても、心から納得し難いのです。経論の重要な文句を書きとめてお与えくださって、一方では上人との面談に見立てて、また一方ではお亡くなりになった後の形見としても側に置いておきたいのです』と伝えられた。そこで上人は、…『選択集』(『選択本願念仏集』)を撰述された」(『絵図』)とあるように、九条兼実(1149~1207)の要請であったと考えるのが穏当である。
また、その撰述は、九条兼実の要請に法然が応じる形で開始されたとみるのが一般的であるが、「廬山寺本」は、選者である法然自身の筆跡が認められ、且つ筆録された本文の行間をはじめとしたあらゆる場所に、本文を推敲した痕跡だと判断できる推敲跡がいくつも遺されているので、上記の伝承にある、正にその事跡があった時、法然によって作成された『選択本願念仏集』であり、より具体的には、『選択本願念仏集』の草稿本であると理解して差し支えないものと思われる。
そして、「廬山寺本」に遺されている推敲跡の内、浄土宗の開宗という出来事との関係の中で目を引くのが、二八丁オ四行目から二八丁ウ四行目を中心に確かめられる推敲跡である。
ここでは、筆録されている文章が匡郭のように線で囲まれており、削除されている。更に、削除されている文章の後には、削除されている文章と構造は同じであるものの、①『無量寿経』所説の阿弥陀仏の本願の第一願・第二願・第二十一願の願成就文に関する説示、②『無量寿経』所説の阿弥陀仏の本願における「不取正覚」をめぐる説示、つまり阿弥陀仏の本願にまつわる説示が加えられ、内容の若干異なる文章が書き記されており、加えられたと捉えられる内容の①の方は、教義書と呼ばれる法然遺文を時系列的に追ってみれば、初出の内容となっている(拙稿「廬山寺蔵『選択集』の研究」など)。
これは、法然の思想、とりわけ阿弥陀仏の本願についての思想が変遷、ひいては深化している状況を物語っている確固たる事例である。浄土宗の開宗にあたって、阿弥陀仏の本願は非常に重要な要因であり、法然はそれを確証として浄土宗を開宗したと見られる反面、法然自身の本願についての思想が、少なくとも『選択本願念仏集』撰述時、すなわち浄土宗の教えが体系化されて表現される時点まで変化していることは注目に値する。
以上、論じてきた事柄を考え合わせると、浄土宗が開宗された後、法然の思想が変遷、および深化していったのは間違いない。更に言えば、法然によって徐々に体系化されつつ、説かれていった教えが、今日の浄土宗として受け継がれてきているものであるといえる。
浄土宗の開宗があったからこそ、法然が自身の思想を展開することに繫がり、そして現代に生きる私たちにも適した、絶対性を有するお念仏の教え(阿弥陀仏の本願に基づく、仏によって選び取られた、諸行に比べて往生行として勝れていて易しい、称名念仏の行を、阿弥陀仏の極楽浄土への往生を願い、専らに修する教え)が明示された。850年前の浄土宗の開宗、その意義は計り知れないものがあろう。