《宮沢賢治没後90年㊦》音と声に導かれて(1/2ページ)
詩人 佐々木幹郎氏
宮沢賢治の詩に「原体剣舞連」がある。賢治の詩に親しんでいる人なら、代表作の一つとして、現在の奥州市江刺の原体集落(当時の「原体村」)で行われていた「剣舞」(念仏踊り)のことで、「連」というのは「社中」の意味を持つということが分かるだろう。だが、わたしは10代の頃、最初にこの詩に出会ったとき、詩句が奏でる音と掛け声の圧倒的な響きに魅せられながら、題名を何と読めばいいのか、とまどった記憶がある。「原」を「げん」と読んでしまったりしていた。
「剣舞」という岩手県の民俗芸能そのものを知らなかったからだ。頭に黒い羽根を飾り、腰に刀を差し、手に扇を持ち、8人から10人の踊り子がチームを作って、激しく舞いながら回向供養をする。笛と太鼓と鉦が鳴り響く。
各地域によって舞い方や衣装は異なり、その村落の名が「剣舞」の上に付いて、今も踊り続けられている。
賢治の詩には、どの作品にも天と地を結ぶ祈りの声が基層にある。日本の近代詩に多い、自分の内面を緻密に描こうとする方法とは無縁だ。いや、そもそも彼は自分の書くものが「詩」であるとは思っていなかった。自分以外の自然の樹木や草にも「魂」が宿っていて、それぞれ異なった領域にありながら呼応して宇宙を構成している、というのが賢治の重要な考え方であり思想であった。その思想を歩くように描いたものを、わたしたちは賢治の詩と呼んでいるのである。
詩「原体剣舞連」には、「mental sketch modified」(修飾された心象スケッチ)という副題が付されている。この詩が収められた『春と修羅』(1924〈大正13〉年、関根書店)の「序」に、「これらは二十二箇月の/過去とかんずる方角から/紙と鉱質インクをつらね/(すべてわたくしと明滅し/みんなが同時に感ずるもの)/ここまでたもちつゞけられた/かげとひかりのひとくさりづつ/そのとほりの心象スケツチです」とあるのだが、詩ではなく彼が「心象スケッチ」と呼んだ作品群の一つ、「原体剣舞連」の場合、他と違ってなおも、「修飾された」という言葉を添えたということ。このことがとても興味深い。
ともあれ、「原体剣舞連」の冒頭は次のように始まっている。
dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah
こんや異装のげん月のした
鶏の黒尾を頭巾にかざり
片刃の太刀をひらめかす
原体村の舞手たちよ
鴾いろのはるの樹液を
アルペン農の辛酸に投げ
生しののめの草いろの火を
高原の風とひかりにさゝげ
菩提樹皮と縄とをまとふ
気圏の戦士わが朋たちよ
青らみわたる顥気をふかみ
楢と椈とのうれひをあつめ
蛇紋山地に篝をかかげ
ひのきの髪をうちゆすり
まるめろの匂のそらに
あたらしい星雲を燃せ
dah-dah-sko-dah-dah