東日本大震災と宗教者の災害支援のその後―震災10年(2/2ページ)
大阪大大学院教授 稲場圭信氏
江戸時代には、災害時に幕府や領主による御救米、民間による合力米があった。被災者の救助のために幕府が建てた御救小屋もあった。そして、各地域には、台風が来たら、地震が発生したら近くの神社や寺院に避難するという地域の智恵があった。このような「避難所」が、日本の法律において最初に登場したのは、1947(昭和22)年に制定された「災害救助法」である。第4条に、救助の種類として「避難所及び応急仮設住宅の供与」が定められている。そして、「災害対策基本法」では、2013(平成25年)年の改正において、東日本大震災から得られた教訓を生かすために、「指定緊急避難場所」(第49条の4)および、「指定避難所」(第49条の7)が規定された。
このような地域住民の避難の確保の流れにあって、宗教施設と行政の連携はどのようになっているのか。筆者らが全国の自治体1741に対して、19年11月時点の状況について回答を依頼したところ、1123自治体から回答があった(注1)。宗教施設と災害協定を締結している自治体は121で、指定避難(場)所は661宗教施設であった。協定は締結していないが協力関係がある自治体は208で、指定避難(場)所は1404宗教施設であった。協定締結と協力関係を合わせると、災害時における自治体と宗教施設の連携は自治体数で329、宗教施設数で2065にのぼることがわかった。宗教施設・団体との今後の連携については、約3割の自治体が「より積極的に連携したい」と回答した。
16年の熊本地震の支援において宗教者と社会福祉協議会(以下、社協)の様々な連携が見られた。宗教施設敷地内の駐車場に災害ボランティアセンターが開設されたり、行政や社協と宗教者が連携し、支援活動や仮設住宅の運営にもあたったりしている。仮設住宅で宗教者が行う炊き出しやカフェに、社協の職員が一緒になって取り組む事例も18年の西日本豪雨から頻繁にある。
このような宗教者と社協の災害時連携の実態を知るために、筆者らが、全国の社協1826に対して、20年1月に回答を依頼したところ、794社協から回答があった(注2)。回答があった社協のうち、これまでに災害が発生し、災害ボランティアセンターを開設したり、災害対応をしたりしたことがあるのは321社協で全体の約4割を占めている。その321社協のうち、災害ボランティアセンターや災害対応で、宗教団体のボランティアや支援を受け入れたのは134社協、4割にのぼる。その内容は人的支援が最も多く、次いで義援金・支援金の寄付であった。宗教団体の活動や支援の8割を「満足」と社協は評価している。
内閣府は、20年4月、「避難所における新型コロナウイルス感染症への更なる対応について」の通知によって、避難所の収容人数を考慮し、可能な限り多くの避難所の開設を図るとともに、ホテルや旅館等の活用等も検討するよう自治体に要請している。従来の避難所だけでは感染症対策の「密集、密閉、密接」の回避が困難なため、行政が地域でなじみのある寺社等宗教施設に協力を求める事例が増加している。例えば、長野市、高知市、瀬戸市、富山市などで宗教施設の災害時活用などの連携の輪がさらに広がった。
令和の時代、残念ながら南海トラフ地震や首都直下巨大地震が発生する可能性は極めて高い。誰もが自然災害に、そして感染症のリスクに晒されている時代。安全地帯にいる自分と危険な所にいる他者という構図は消え去った。同悲同苦、「共感縁」は、ふたたび地縁を強くするであろうか。
東日本大震災からの10年、日本社会は様々な危機への対応力、レジリエンスを高めてきた。そこには、行政の力に加えて、地域住民の力もある。無論、宗教者も地域住民である。人々のつながりが弱体化した社会において、近年、宗教施設が宗教関係外にも活動を広げながら、地域の中心で学びや福祉の場として、また地域をつなぐ拠点としてあらたな機能をもった存在へと変化した事例がある。これは、原点回帰であろうか。地域住民のつながりの維持や新しいつながりの創出に取り組んでいる宗教施設、宗教者の社会貢献に期待したい。
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(注1、2)「宗教施設と行政と市民の連携による減災・見守り」(科学研究費)による調査。