文化財の保護と活用(1/2ページ)
京都国立博物館学芸部教育室長 大原嘉豊氏
筆者は京都国立博物館で仏画を担当する研究員である。京博は、奇しくも日本の文化財保護行政の画期となった古社寺保存法制定の1897(明治30)年に開館している。廃仏毀釈で疲弊した京都の寺社の文化財の保管が目的の一つにあったため、収蔵品のうち寄託品が過半を占める特殊性を持っている。日本の絵画は約100年ごとに修理の必要性があるため、寄託文化財の修理実現のため、寺社や文化財保護行政担当者との調整に当たることが多かった。最近は文化財修理が脚光を浴びるようになったが、この機運を作り出したのが、デービッド・アトキンソン氏としても過言ではないだろう。
同氏は、ゴールドマン・サックスに勤めた後、小西美術工藝社社長に招聘され、主に建造物の修理に携わる中で、日本の文化財保護において行政支援の手薄さに危機感を抱き、様々な提言をされるようになった。法制度上、私的所有権絶対の原則があるため、修理は文化財所有者の実施が原則であり、そこに保護の優先順位を行政が制度化し、必要に応じて補助金を付与するという形になる。ところが、日本社会の変化で、伝統的な地方共同体が解体に向かい、それに依拠していた寺社の体力が弱っており、また不幸なことに寺社が指定文化財所有者の大半を占めるという現状からすると、このままでは日本の文化財保護はお先真っ暗である、というアトキンソン氏の中長期的見通しは正しい。そこで、氏は、文化財修理に行政がより公金を支出できるインセンティブが必要だとして、文化財の活用による観光立国をその一つの解法としたのである。それは、「地方創生」という国家施策の一部に組み込まれている。
最初に断っておくと、文化財の活用と保護は両立する、というか、やはり見たこともないものに愛情も湧かないわけで、所有者とその支援者の理解に資す部分が大きい。筆者が「見ていただくのも文化財保護」と口癖のように言っているのも、その趣旨からである。
ただ、寺社の所有者に活用・公開の責務を負わせるのは、秘仏などの信仰上の問題もあり、配慮が必須である。宗教とは単なる道徳ではないのだから。
それ以上に、公開には監視などの対応も必要になるが、寺社は、その存立基盤である檀家・氏子の減少という事態を迎えており、純粋に資金・マンパワーが不足し、寺院も伝統的な家制度で維持するしか手段がないような状態にある。1872(明治5)年の太政官布告133号「自今、僧侶肉食妻帯畜髪等可為勝手事」は、教義上の議論はあろうが、今日を見据えていたかのような思いさえする。
檀家・氏子の減少は、産業構造の変化などによって農業を主体とする伝統的な社会基盤が崩れ、家制度が機能しなくなったことが原因で、地方の衰退はここに原因がある。簡単に言うと、地元で就職が難しくなったということである。これが、地域共同体の崩壊に連動している。現在、日本で各種制度疲労が起きているが、行政・警察・福祉などの行政体系が家制度や地域共同体の存在を前提にしているからである。となると、この点に配慮して文化財の公開も制度設計する必要がある。
一方、都市化の進んだ地域は、他所からの流入人口が増え多数派を形成するかたわら、故郷愛に基づく地域の発展への意識が乏しくなりがちであり、過疎化の進む伝統的な地域における文化遺産の保護や活用に対する公金注入に切実な理解があまりないように思う。滋賀県大津市などは京都・大阪のベッドタウン化が進み、大津市民を「大津府民」などと陰で揶揄する人もいるくらいである。大阪のベッドタウンとして36万人都市となった奈良市でも、伝統的地域共同体は衰退し、信仰を紐帯とする講などそこで守られてきた仏画や仏像の護持が出来なくなり、講を解散し、文化財を公的博物館に寄贈するという事態まで起きている。