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相論対論 再燃する「安楽死」議論(2/2ページ)

生きたい気持ち守れ  立命館大教授 大谷いづみ氏

2020年8月25日 15時28分
おおたに・いづみ氏 1959年、愛知県生まれ。立命館大大学院博士課程修了。同大教授。博士(学術)。専門は生命倫理学、生命倫理教育。著書に『はじめて出会う生命倫理』(共編著)など。

社会全体に「人に迷惑をかけて生きるな」という声が強まっている。昨年、発達障害のある無職の長男を刺殺して実刑判決の出た元農水省事務次官に対して「世間に迷惑をかける前に殺した」と同情が集まり、減刑運動が起きた。ひきこもりが犯罪予備軍のように見られ、障害者や社会的に孤立している人が生きにくい世の中だ。今回の事件と地続き・表裏の関係を感じる。

今回の事件は安楽死ではなく嘱託殺人だ。事件そのものを安楽死の議論の俎上に載せてはいけない。しかし、法律が変われば、安楽死も認められることになる。実際、これを機に安楽死を合法化しようとする声もある。挙げられる主な理由もこれまで繰り返されてきたものだ。

「治療法の情報収集に努めていた被害者が、スイスで安楽死を遂げた日本人女性のドキュメンタリーを見た後、自殺幇助への思いを強めていった」と語った被害女性の主治医の言葉にも注目したい。これまで「死ぬ権利」合法化運動では「安楽死」を扱った文学や演劇・映画が大きく影響してきたからだ。

ナチス時代のドイツで作られたプロパガンダ映画「私は告発する」はメロドラマ仕立てだ。戯曲「この生命誰のもの」はアメリカで映画化され、日本でも劇団四季が繰り返し上演している。類似の作品も今は珍しくない。視聴者に答えを委ねているように見えるが、難病を抱え生きるのが大変な状況を見せつけられ、「安楽死」を選ぶ主人公や手助けする人に共感しやすいつくりになっている。

生命倫理を高校や大学で教えて30年以上たつが、この10年の間に「生かされている」という言葉を「生の強制」と受け止める若者が増えている。神仏を持ち出さなくても、家族の愛、自然の恵み、幸運など、命は授かりものという意味が通じにくい。自殺者はこの10年減少したが、39歳以下の若年層の死因第1位は自殺で微増している。教室内カーストや同調圧力、格差が広がる中で、切実な「生きづらさ」がある。だから、せめて死ぬ自由が欲しいと考えるのではないか。

人は一人で生きているのでも真空の実験室で自己決定するのでもない。「わたし」の決定も「わたし」の言葉も、「わたし」を取り巻く様々な状況や条件の影響を受ける。健康が当然だった自分に刻み込まれた行動や価値観、経済的基盤、家族や介護者への気兼ね、世間体などだ。

他方、「死にたい」と「生きたい」の間を揺れ動く中で「死にたい」という言葉だけが「自己決定」として切り取られた途端に、それは決定した人にとどまらず、同じように過酷な状況をくぐり抜けて「生きたい」という境地に至った難病者や重度障害者が生きる選択をしにくくしてしまう構造がある。「わたし」限定の死ぬ権利を求めたはずが、いつのまにか社会の迷惑にならないよう、死ぬ義務、死なせる義務に反転してしまう懸念は、戦時にも例えられるコロナ禍の欧米で高齢者や医療・介護職に起きたことだ。日本の「自粛警察」現象と併せて考える必要がある。

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