「近代化」と「自由」―カイロから考える(2/2ページ)
国際日本文化研究センター教授 磯前順一氏
だが、何といっても私が驚いたのは、混乱した様に見える交通事情を、むしろエジプト人の判断力の主体性としてとらえる友人の逞しい感覚であった。彼からすれば、日本社会に慣れた人たちは、青信号になったら、何も考えず横断歩道を渡る、左折や右折の車列に入れば、自動的に曲がればよいと信じている。安全が交通法規として保障されているからだが、規則に素直に従うその姿勢のほうが、よほど危険に対して無警戒であるかのように彼の眼には映ずるという。
自国の保護が及ばない場所で、あるいはその権力が衰えを見せるとき、日本人はいかにして自分の身を守ることができるのか。現地を共に歩く中で、エジプトの友人の問いに対して、私は答える途が見つからなかった。イスラムやギリシャのように、単一国民=民族に回収されない多様なアイデンティティーを持てずにいる戦後日本人の脆弱さを見る思いであった。
私がカイロ大学で講演した題目は、「アメリカの占領と福島第一原発災害」であった。従来、戦前の天皇主権による全体主義的な社会体制は、占領軍の指導による諸政策によって、国民主権を前提とする、個人の信教自由を是とする社会体制に変革されたと考えられてきた。しかし私の考えでは、アメリカの占領軍は、天皇を国民の「象徴」とすることで、依然として天皇と国民の一体を説く「国体」観念を維持して、アメリカの植民地主義政策の東アジアにおける拠点として国民統合が利用されてきたのだ。占領の支配政策のための諸改革であったため、個人の自由を支えるはずの「人権」あるいは「主権」の観念は、結局のところ、日本社会に十全な形では根付くことはなかった。
「自由」とは、主権や人権という西洋的な法制度に縁どられた概念である。公共領域の内部に人間を「国民」として馴化することで、主体に人権を付与することで法的な「主権者」として認定するのである。日本の場合、それは近世後期から広がった「通俗道徳」の認識、すなわち自分が世界の中心であるという認識と重なり合うものとなった。民衆史家の安丸良夫によれば自分の行為が世界変革をもたらすという人間の主体性を、それまで世界に服従した呪術的状態を克服することで確立したのである。ウェーバーの言う「呪術の園からの解放」が、日本の場合は通俗道徳において獲得されたのだ。エジプトの近代がエジプト文明という古層の上に、イスラム信仰、さらには西欧文献に積み重なって成立していたように、日本の近代もまた近世までの諸思想伝統を土台として、西洋の近代化が組み合わされたのである。
イスラム社会の場合、神アラーに従うことで、国家に抗する潜在力を備えることもできる。神というレトリックに訴えることで、人間は国家に服従することのない自由の空間を自らの内部に作り出すことも可能になるだろう。かつて人間を縛っていた神に対して、国民国家に帰属することでその内部に神に対する自由の空間を作り出したようにである。だが、通俗道徳を基底とする日本の主体の特徴、世界に起きたことは自分の至らなさの責任とする論理の存続は、いまだ自己の主体が世界に埋没した状況を抜け出してはいないことを示している。
だとすれば、精神の植民地主義あるいは国民化とは、その主体性の作動する空間を国家の名の下であれ神の名の下であれ、抹消することなのだ。人間が得体のしれない不安に脅かされるとき、実存の本源としての「孤独」は群衆のなかの「孤立」へと転ずる。不条理に満ちた世界は、不気味なものに映じる。そこに近代の国民国家が、あるいは宗教的な権威が、アイデンティティーの不在におびえる人間の余白に滑り込んでくる。それもまた、全体主義あるいは原理主義という名の近代化の一形態なのだ。
主体が世界から解放されるには、主体が自分を生み出した世界から一度は切断される必要がある。規則の否定ではなく、世界の自明性を疑うことである。自由とは規則を尊重するものの、それに縛られることのない主体性を獲得することで得られるものなのだ。そのためには、自分を取り巻く現実の享楽に幻滅する必要がある。その結果、他者とともに、住み心地の良い世界にするために、自分に与えられていた生来の規則を再編成することが可能になるのだろう。そのとき、人間はどの社会であれ、希望という名の自由を獲得することができるように思われる。