道元が基づいた性起思想(2/2ページ)
駒澤大名誉教授 石井公成氏
道元は『正法眼蔵』の随所で、智儼の主張を思わせるような形で「発心・修行・菩提・涅槃」を強調している。一般の禅宗のように、「見性すれば、つまり、自らの仏性を見れば終わり」なのではなく、また、本覚思想のように、自分はもともと仏であるとするのでもない。如来の智慧が自らにも及んでいるからこそ、過去の仏、とりわけ釈尊のように、自らも「発心・修行・菩提・涅槃」の道を歩み続けねばならない、とするのだ。
興味深いのは、「発心・修行・菩提・涅槃」というのは一般的な表現のようだが、実は天台の本覚法門において、我々はもともと「発心・修行・菩提・涅槃」を具えていることに気付け、という文脈で用いられていたらしい。
道元は性起思想に立ち戻ってそれを転じ、その道を実際に歩み続けよ、と説いたのだ。道元は本覚論なのか本覚論批判なのかという論争が長く続いてきたのは当然だろう。
これまで道元は『華厳経』はあまり引用しないと言われてきた。しかし、実際には『正法眼蔵』は、『華厳経』の言葉であることを示さずに重要な箇所でしばしば用いていた。それとは反対に、『法華経』については随所で名を挙げ、あるいは「経云」として『法華経』の経文を引いている。それはなぜなのか。
ひとつ確かなことは、道元は「養父」に育てられたためか、『法華経』を説いた釈尊を真の父として仰いでいたらしいことだ。『正法眼蔵』では、『法華経』において釈尊が命あるものたちを「吾子」と呼んでいる箇所を何度も何度も引用している。
すなわち、道元は、自分は『法華経』を説いた釈尊の子であるという自覚を強烈に持っていたのだ。晩年になって病んだ際、『法華経』の偈を唱えたのは偶然ではない。
このため、道元が手本として仰ぐ仏は、発心し、坐禅して悟り、『法華経』を説いた釈尊ということになる。道元は坐禅を何よりも尊重していたが、『正法眼蔵』で圧倒的に多く引用されているのは、禅僧の語録ではなく、鳩摩羅什訳の『法華経』だ。
その引用ぶりを見ていると、道元は『法華経』の言葉でしかものが考えられなかったのではないか、と思われるほどだ。性起思想に基づく「発心・修行・菩提・涅槃」が説かれた箇所でも、その前後で『法華経』の言葉を用いていることがほとんどなのだ。
また、『正法眼蔵』では、『法華経』の有名な言葉を少し変えて用いることも多い。たとえば、方便品の有名な「唯仏与仏、乃能究尽(ただ仏と仏のみ、すなわちよく実相を究尽す)」という有名な句を『正法眼蔵』では繰り返し使うのだが、これを改め、「唯仏祖与仏祖」とする箇所も複数ある。
つまり、仏と禅宗の祖師のみが真実の在り方をきわめているとするのであり、道元は何かを主張する際には、『法華経』の言葉によって裏付けようとするのだ。
『法華経』を説いた釈尊を尊重する立場からすると、たとえ悟ったとしても、説法しない者は仏ではない。実際、釈尊の事績で重要なのは転法輪、つまり説法であり、これがなければ仏教は伝わらなかったことになる。そこで道元が『正法眼蔵』で強調したのが「道得」だ。
禅宗が説く「不立文字」とは、「固定された言葉によって論証しない」というのが原義だ。これを逆に言うと、導くためには何を言っても良いということになる。思いもよらない逆説的な表現や、体の動きや、沈黙によって導いても構わないのだ。
ただ、どのような形であれ、人を教え導かなければ仏祖ではないため、道元は「見事に表現しぬくこと」を「道得」と呼び、これを転法輪に当たるものとみなした。つまり、道元が尊重していた禅僧の見事な言葉、あるいは振る舞いが道得とされ、経典に等しいものとされたのだ。
しかも、『華厳経』の性起品では全世界が経巻であると説かれていた。本覚論では、目の前の自然がそのまま真実の世界だとしていたが、性起思想に基づく道元にとっては、仏祖が山水について見事に「道得」したことによって、山水が経巻となったことになる。性起思想の影響は意外に大きいのだ。