「浄土宗の中に聖道門と浄土門がある」(2/2ページ)
仁愛大学長 田代俊孝氏
ここでいう「諸行は廃の為に而も説く」とは、諸行によって諸行を否定せんとする論理である。つまり、諸行そのものが下根の凡夫には修しがたく、また下根の凡夫なるがゆえにそれを否定せざるを得ない。
念仏は、逆に、下根の凡夫なるがゆえに立てざるを得ないという論理である。しかも、所廃の定散諸行は念仏を反顕するための素材であり、下根の凡夫が弘願真実に目覚めていく重要な契機となるものと理解される。つまり、諸行には念仏に帰する方便仮門としての役割があり、念仏は帰すべき真実門として説かれているのである。
今、浄土宗から見れば、諸行を旨とする聖道門は「廃」のために、念仏を旨とする浄土門は「立」のために、それぞれ説かれているのである。
この教判で何よりも重要なことは、浄土宗は「二門を立てて一切を摂す」としていることである。つまり、釈迦一代の教すべてを聖浄二門に摂め、「浄土宗に就いて」二門に分判していることである。そして、その中で、聖道門の中に各宗すなわち、有相宗、無相宗、華厳宗、法華(天台)宗、真言宗を入れている=表Ⓑ。
聖道門という名は浄土宗側(道綽)において名づけた名前である。したがって浄土宗の聖道門という事になる。浄土宗の眼、つまり、浄土宗の仏教観で聖道門を見ているのである。仏教各宗を受け入れ、聖道門の機も帰すべきは浄土門という見方である。
たとえば、天台宗の所依の経典は『法華経』であるが、凡夫には、それは修し難いがゆえに自身が『法華経』を廃して、『浄土の三部経』に帰するのである。浄土門への通路として天台宗を見ているのである。それが「浄土宗に就いて」立てられた天台宗であり、浄土宗の中に天台宗が位置づけられているのである。
このような立場は『一期物語』(醍醐本『法然上人伝記』)にも、「此の観無量寿経は、若し天台宗の意に依らば爾前の教也。故に法華の方便と成る。…然るに浄土宗の意に依らば、一切の教行は悉く念仏の方便と成る故に浄土宗の観無量寿経の意と云う也」(石井教道編『法然上人全集』四四七)と述べられ、浄土宗の立場からすれば、一切の教行はすべてが念仏の方便と理解されている。
また、この文に続いて「或る人問うて曰く、善導和尚の意は聖道の教えを以って方便の教と為す。出でて何れの文に在りや。師答えて曰く、法事讃に云わく、如来五濁に出現して、随宜に方便して群萠を化す」(同)と根拠を善導の『法事讃』に求む。
また、『東大寺十問答』には、「八家九宗、皆いつれも我宗の中に一代を摂めて、聖道浄土の二門と分かつ也」(『同』六四三)と述べ、「釈迦一代の聖教を、みな浄土宗におさめ」て位置づけている。このような見方こそ法然の仏教観であり、それこそが浄土宗を立てる絶対的根拠である。
『三部経大意』でも、阿弥陀のみ名に真言、天台、三論、法相一切の法門、森羅の万法すべてが摂まると述べる(『同』三八九)。念仏を除く一切の法門は「唯念仏」を反顕させる方便であり、浄土門に帰する通路である。
聖道各宗を浄土宗の中に取り込んでいることの意味は廃立方便の意味による。聖道門と浄土門が相対的に並立するのではなく、また、八家九宗に対して浄土宗一宗を加えるというのでもなく、仏教全体が浄土宗であるとの見方である。
つまり、浄土宗から言えば、自身における聖道門各宗の歩みを全部受け入れ、それが浄土宗に帰する方便、否定媒介となる通路であり、すべてが浄土宗に摂まるという教相判釈である。聖道門の機をも廃捨することなく、念仏に帰することによって「一切を摂す」のである。
この立場が、後に親鸞(1173~1262)の真仮分判の教判の基本となり、親鸞が『教行信証』で「方便化身土巻」を著さねばならなかった必然性を生むのである。
このように「浄土宗の中に聖浄二門を摂める」とは、法と法、宗と宗との比較の上に相対的に判じられているのではなく、また、それぞれに優劣を判じるのでもなく、根機の自覚、つまり「いずれの行も及びがたき」(『歎異抄』)凡夫の自覚、自らの分限の自覚の上になされているのである。そして、そのことが自らの歩みの歴史の上でこのように受け止められているのである。〔詳細は拙著『「愚禿鈔」講讃』(2019年、東本願寺出版)、同「法然の仏教観と浄土宗の教相判釈」(2024年、中部人間学会『人間学研究』第22集)参照〕