皇居に眠る聖書の意味(2/2ページ)
仏教史学会会員 佐野学氏
キリスト教禁制の中で献上が実現した二つの要因を見ることとする。
一つは外務卿澤宣嘉が急逝したことである。澤は浦上信徒流刑を主導した人物であり、極端な攘夷論者で、耶蘇を「毛嫌い」していた。交渉時には副島種臣が外務卿となっていた。副島は大隈重信と共にウイリアムスやフルベッキに学んだ。キリスト教が一般に考えられている邪教ではないことを十分知っていたのである。
もう一つは、デロング駐日公使の存在である。外務省記録では朱書きで「デロング」と記されている。デロングは、条約改正の障壁となっていたため、デロングからの聖書献上の申し入れに日本政府は断るすべがなかったのである。
ヘボンは、聖書が受納されたことは政府内で起きた信教の自由に向かう大きな変化であると言う。天皇は「近寄りがたい威厳と隔離されたところに居る存在」であり、「深い敬意を知っている人には、キリスト教の聖典を受け取ったということの重大さがわかる」と言っている。
キリスト教が「恐怖と敵意」を持たれていた時代に、聖書は献上されることとなったのである。日本人にとって“the unapproachable majesty and seclusion”という“聖なる所”に収められたのである。
聖書は邪書であった。しかし、天皇に所有された聖書は「邪」でありまた「聖」でもある二つの顔がある。皇居にある聖書の重要性は信教の自由への日本宗教史の「マイルストーン」と言えることである。
1、『The Holy Bible』は所蔵印から「図書寮」に保存されていたことがわかる。図書寮は宮内省において代々皇室に伝わっていた古典籍・古文書類を所蔵していた場所であり、歴代の宝物が保管されていた。この聖書が一般の資料や書物としてではなく、寄贈された宝物として保管されていたのである。
2、献上した聖書は『Imperial Quarto English Bible』で、贈呈計画が話し合われた56年秋以降、通常以上の費用をかけて新たに製本されたものである。保存されている聖書は、「1856」「Imperial Quarto」である。
しかし、新約部分の表紙には「1857」との表記がある。このことから、通常の「Imperial Quarto」ではなく、贈呈計画が話し合われた56年秋以降、57年に新たに製本された「Imperial Quarto」なのである。
3、ヘボンは聖書と一緒に和英書林集成第2版を献上している。書陵部には『和英書林集成第二版』が2冊保存されており、一つには「ヘボン氏英和書林集成壱冊」の文字が書かれた紙が挿まれているためヘボンが献上したものと推定できる。そして、聖書同様「図書寮」の所蔵印が押印されている。それらは同じ時期、同じ場所に所蔵されていた物である。
以上の根拠から、この聖書がヘボンが献上した『Imperial Quarto English Bible』であると考えることができる。
ABS(アメリカ聖書協会)は次の通り「Imperial Quarto」が用いられたという私の見解に同意する方向にあるとのコメントをしている。
“Based on the items you provided earlier and on reviewing the latest details you forwarded today, we are inclined to believe that your assumption concerning the Imperial Quarto appears correct.”
American Bible Society-Library and Archives
コメントをしていただいたABSと資料の一部を提供してくださった国吉栄氏に感謝します。