ロシアによるウクライナ侵攻から1年(2/2ページ)
清泉女子大准教授 井上まどか氏
モスクワの首席ラビ、ピンカス・ゴールドシュミットの場合は、父親の病気のためイスラエルに戻ったといわれているが、彼の親族によれば、当局からの圧力によるものだった。彼はSNSを通じて、収監されている反体制派の指導者アレクセイ・ナヴァリヌイの解放を訴えている。BBCによれば、軍事侵攻後、2万5千人のユダヤ人がロシア国外へ逃れている。
ロシア連邦のイスラム教徒(ムスリム)は約2千万人とされ、首都モスクワに四つのモスク、ロシア連邦全土には約8千のモスクがあり、ロシア正教会に次ぐ大きな宗教勢力であるが、軍事侵攻についてはそれぞれの背景により意見が異なる。
北コーカサス・ムスリム調整センターはロシア連邦大統領府の代表者を含むイスラム指導者たちの会議を開催し、ロシア連邦指導部への支持に加え、ウクライナでの「特別軍事作戦」は西側による核兵器・生物兵器の使用という脅威からロシア市民を守るための予防的・防御的なものであるという認識を示した。また、「特別軍事作戦」で亡くなったムスリムは殉教者(シャヒード)であるとの認識を示した(22年3月16日)。
こうしたムスリム組織が軍事侵攻を支持する背景の一つには、経済的な事情がある。これらの組織の運営には政府の資金援助が欠かせないためである。また帝政時代の宗教政策としてロシアの帝国統治に大きく寄与していたという歴史的背景もある。
ムスリムが多数派を占めるチェチェン共和国は、ラムザン・カディロフ首長が、私兵部隊(通称カディロフツィ)をウクライナに送っている。カディロフ首長によれば、ウクライナとの戦いに参加するチェチェン兵士はムジャーヒディーン、「神の道」のために奮闘する者つまり「ジハード」に参加する兵士であり、亡くなったムスリムは殉教者である。
他方、ウクライナ側に立って戦おうとSNSで呼び掛けるチェチェン人もいる。コーカサス首長国(チェチェン独立派武装組織、未承認国家)のアブ・ハムザは、カディロフツィは「神の道」ではなく、プーチンのために戦う「クレムリンの傀儡」であり、本物のチェチェン人ではないと批判した。また、ジョハル・ドゥダーエフ大隊やシェイク・マンスール大隊などのチェチェン志願兵大隊は、ウクライナ側に立って戦うことがロシアによって抑圧されている人びとすべてを解放することにつながると説いている。この背景にはソ連解体以降の分離・独立問題がある。
また、14年にロシア領となったクリミア半島を故郷とするクリミア・タタール人のある志願兵組織の指揮官はロシアのムスリムに対し、武器を捨てるかウクライナ軍に参加するかの二者択一を呼び掛けている。
1991年のソ連解体に伴い独立したウズベキスタン共和国では、国内のイスラーム組織を統括するムスリム宗務局が、ロシア―ウクライナ間の戦争に参加することを禁止する布告を出した(2022年9月)。布告によれば、ムスリムは祖国防衛という目的以外で軍事行動に参加することは許されず、この戦争は「ジハード」ではない。二つのコミュニティーの間で起きた紛争に対して、ムスリムは平和に向けての呼び掛けをすべきだ、と述べている。この背景には、多くのウズベク人がロシアで労働に従事しており、22年9月、ロシア軍に入隊・従軍した外国人に対してロシア国籍の取得手続きを簡略化する法律がロシア下院で可決されたということがある。
戦時下で戦争反対や平和を訴えることが、宗教者であっても、いかに困難なことであるかは20世紀の戦争の歴史、戦後になされてきた多くの反省を振り返れば、理解し得ることであろう。
それゆえに、いま、戦時下で戦争反対を訴える宗教者の声に耳を傾けることが重要だ。国や宗教を超えて戦争反対・平和を訴える人びとが連帯する道を探るために、民間レベルで国際的なネットワークを長年にわたり築いてきた宗教者たちへの期待は大きい。