京都が京都でなくなる?(2/2ページ)
龍谷大名誉教授 田中滋氏
小浜ルート全体で大きな問題になるのが、トンネルの掘削残土の処理である。この計画では少なくとも880万立方㍍(1700万㌧)の土砂が出る。高さ60㍍の旧京都ホテル(ホテルオークラ京都)44杯分に相当し、積み上げれば2640㍍の高さになる。この土砂を160万台以上のダンプカーが運び続ける。残土処理方法はまだ決まっておらず、鉄道・運輸機構はこれから周辺の自治体と協議するという。しかし、道路周辺の建物は、それが重要文化財であれ、振動・騒音・ホコリに何年間も悩まされ続けることになる。
残土については、さらに大きな問題がある。丹波山地は他地域に比べてヒ素の含有率が高い(地質調査総合センター)。残土が環境基準を上回るヒ素などの有害金属を含む場合、土壌汚染対策法上の「要対策土」としての処理が必要となる。どれほどの量になるのかは見当もつかないが、その多さを考えれば法律に則った正しい処理がなされるのかには疑問がある。福島の原発事故で発生した大量の放射性廃棄物の処分を思い出せばよい。丹波山地の各地の谷や河川敷、休耕田などに黒いビニール袋詰めの要対策土が積み上げられることにもなりかねない。仮置き場が永久処分場になることも避けられそうもない。ビニール袋はいずれ破れヒ素が流出する。
もっと厄介なのは、ヒ素に汚染された湧水の大量発生である。トンネル湧水は、大半のトンネルで1㌔㍍当たり毎時6㌧とされている(日本トンネル技術協会)。小浜ルートの山岳トンネルの延長を50㌔㍍と仮定すると、毎時300㌧(1日7200㌧)という途方もない量になる。ヒ素に汚染されたこの大量の湧水を処理し切れるとは思えない。しかもこの平均的な湧水量で済むという保証はない。トンネルから地表(山の表面)までの高さが場所によっては400~500㍍もある小浜ルートでは地圧も高く、湧水量も増大する。
トンネル湧水のヒ素汚染の近年の事例として鹿児島県北部の北薩トンネルがある。トンネル貫通後の恒常湧水は毎時300㌧で、この大量の湧水が高濃度のヒ素に汚染されていた。湧水の減水対策がなされ、環境基準に基づき水質処理がなされているが、いつまで水質処理を継続しなければならないのかが社会問題になっている。
西垣誠岡山大名誉教授(地下水学)は、有害金属に汚染された湧水の処理期間をトンネルの供用年数(約50年)と同じと考えるのは誤りであり、鉱山からの湧水処理のように何百年あるいは未来永劫に処理する必要があると指摘している。一体誰がこの処理費用を未来永劫負担し続けるのか。これが小浜ルートでも起こる。由良川を介して京都府北部が、鴨川・桂川を介して京都市内や京都府南部が、そして淀川を介して大阪府や阪神地区が影響(汚染と費用負担)を受けることにもなりかねない。
ヒ素は、その毒性の強さが森永ヒ素ミルク中毒事件やバングラデシュの地下水(井戸水)汚染などで知られているが、かつては日本軍の毒ガスの原料となっていた。ヒ素の環境への流出が生態系や飲料水・農業用水などに及ぼす影響は計り知れない。平城京はその完成を待つことなくあまりにも早く幕を閉じたが、大仏の鋳造や金鍍金に使用されたヒ素や水銀による10年近くの大気汚染が原因であった可能性が指摘されている(佐藤忠司「日本人が経験した水銀汚染の史的検討」『臨床心理学研究』09年)。今度は京都がその二の舞いを踏むのか。小浜ルート設定の背景には安全・安心な国土づくりを目指す国土強靭化政策がある。しかし、ヒ素に汚染されてしまった国土のどこに「安全・安心」があろうか。
以上、トンネル湧水に焦点を絞って論じてきたが、問題はまだまだある。府県などの財政負担問題や在来線の存続問題等々である。しかし、なぜこんな無謀な建設計画が推進されようとしているのか。京都を京都でなくす計画と呼んでもいい小浜ルートの完成予定は20年以上も先の46年である。その頃には、メタバースの急速な進化とテレワーク化の進展が予想され、仕事での人の移動は減少していく。一方、観光のための人の移動は減らない。これからの公共交通機関に求められるのは、アメニティーと利便性(スピード)のベストミックスである。これこそ持続可能な発展を目指すSDGsの時代にふさわしい。ほとんどがトンネルでアメニティーにも欠ける重厚長大型の公共事業はまさに時代錯誤の産物に他ならない。
北陸新幹線延伸計画をめぐる最近の言説で気になるのが、「国策」というキーワードである。戦前・戦中の暗い時代に「国策」という言葉に多くの人びとが沈黙を余儀なくされた。宗教者も例外ではなかった。しかし、今は時代が違う。小浜ルートという無謀な「国策」に沈黙することはない。