師子と狛犬(1/2ページ)
和歌山県立博物館長 伊東史朗氏
神社境内に置かれる石造の「狛犬」をよく見かけるが、この呼称で果たしてよいか考え直し、さらにこの守護獣の成立期の様相をうかがってみよう。
阿吽(開口・閉口)一対となるこの獣は、体形が左右対称のものがほとんどだが、よく見ると向かって左方(吽形)の頭上に一角のあることに気づく。往々にして角が失われている場合があるが、本来は無角の阿形と一角の吽形の組みあわせである。阿形を獅子、吽形を狛犬と呼び、総称としては「狛犬」ではなく「獅子狛犬」というのがとりあえずは正しい。
ふたつの名称が連なっているのは、左右が同じ動物ではなく、ライオンに起源する獅子と中国で仏教渡来以前からあった空想上の霊獣、この二種の獣の組みあわせだからであり、前者の獅子に対して、後者を日本では平安時代以降「狛犬」と呼んだ。
この一対それぞれの名を連ねて呼ぶならわしは古くからあった。たとえば『徒然草』の「丹波に出雲と云ふ所あり」で始まる第二百三十六段は、今の亀岡市・出雲大神宮での話であるが、「御前なる獅子狛犬、背きて、後さまに立ちたりければ」とあるように「獅子狛犬」といっている。
木に竹を接ぐようなこの二名称の連続に不調和を感じる人はいるだろう。しかし文化庁の指定する重要文化財名称もつい近年までは「狛犬」だったのだから、そう感じる人のいるのは仕方がないといえる。平成元年、石川県・白山比咩神社の「獅子狛犬」一対の指定名称がその第一号であり、以後、伝統的なこの表記法に変えられた。
歴史的に見れば両方をこのように連ねて呼ぶのが適切なのだが、それを縮めて「狛犬」という言い方は一部では現在でも依然行われることがある。
ところで右の『徒然草』からの引用で「獅子狛犬」と書いたが、実はこの用字にも問題があり、正しい歴史的表記は「師子」である。その間の事情は、仏教がインドから中国へもたらされた際の経典漢訳にある。ブッダの偉大さを百獣の王ライオンにたとえることはよくあるのだが、漢訳では、ライオンのサンスクリット語(古代インド語)Simhaを、その最初の音(シ)に指導者を意味する「師」の字を当て、それに接尾語「子」をつけて訳したのである。指導者(ブッダ)の意を含む漢語「師子」はこのように成立した。
これが正式な書き方なのだが、そうはいっても、依然として「獅子」という表記が学術書にもあることに注意しなければならない。わたし自身数年前までそう書いていたのだから、これは自戒でもあるが。