宮沢賢治と〈一心〉(2/2ページ)
京都芸術大教授 君野隆久氏
《コバルトのなやみよどめる/その底に/加里の火/ひとつ/白み燃えたる》。これは板谷栄城氏のご意見ではカリウムの炎色反応をコバルトガラスを通してみている様子をもとにした歌とのことらしい(『宮沢賢治の宝石箱』)。また《鉄の澱/紅くよどみて/水もひかり/五時ちかければやめて帰らん》のような歌も見つけられるが、これも板谷氏の説では鉄の化合物の溶液にアルカリを加えて水酸化鉄のゲル状のコロイドを析出させる実験であるという。いずれにせよ、こうした歌の中で「よどめる」「よどみて」と描写を与えられているのは、化学実験に用いられている物質であると同時に、賢治のその時の心象そのものであるように思われる。賢治は眼前の化学実験を描写していると同時に、自分の心の状態を詠っているのだ。
このような歌を読むと、おそらく高等農林学校時代、化学の実験中に眼前で物質がさまざまに変化してゆく様子に自分の心の状態を重ねるということを賢治は相当していたのではないかと想像されてくる。もちろん化学実験する人がすべてそういうことを体験するわけではない。しかし賢治はその資質と知識から、自分の心の状態と眼前の化学物質を結び合わせて認識する一種の「行」を、図らずも行っていたのではないだろうか。ビーカーやフラスコの中で起こる物質の変化がすなわち自らの心の変化である。そのような一種の「観法」を重ね、独特の「一心」思想を身につけたのではないかと私は考えるのである。
眼前のフラスコの中の世界を銀河のスケールにまで拡大したものが『銀河鉄道の夜』の世界である。それは壮大な空間だが、無限ではなくガラスの壁に閉ざされた領域である。そのような作品世界が展開するには「コロイド」という化学の概念が大きな役割を果たしているのだが、それについては詳述する余裕がない。
ただし、私の言いたいのは、宮沢賢治がこうした「一心」の思想を持っていたからこそ偉大な作家であったということではない。賢治が体得した「一切の現象はすべて心から生まれたものである」という仏教思想を、詩や童話でもって生き生きと描いてみせた作家というだけなら、たしかにユニークな存在ではあるだろうが、それだけの存在にすぎないともいえよう。壮大な化学実験である『銀河鉄道の夜』の終わり近く、列車の中でカムパネルラが姿を消してしまい、ジョバンニは激しいショックを受け、「咽喉いっぱい」に泣きだすという悲痛なシーンがある。《ジョバンニはまるで鉄砲丸のやうに立ちあがりました。そして誰にも聞えないやうに窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉いっぱい泣きだしました。もうそこらが一ぺんにまっくらになったやうに思ひました。》
カムパネルラには、亡くなった妹のトシが投影されているとか、あるいは結局決別してしまった親友の保阪嘉内がカムパネルラというキャラクターを作るうえで重要な役割を果たしているなどの意見がある。作品の中の人物をすべて作者の人生で遭遇した人物にあてはめて理解するのは限界があるが、賢治の人生をたどるうえで、妹トシの死や、保阪嘉内との別れが大きな影を落としていることは疑うことはできないし、カムパネルラとの別れの場面の悲痛さは、大切に思う人と別れる痛みを知っていたからこそ書けたものだろう。
もし「一心」の思想ですべてが解決できるのであれば、いいかえれば「すべてが私の心の中のできごと」であるとするならば、妹トシが喪われても、親友の保阪と決別しても、それは賢治をそれほど苦しめなかったはずだ。ひたすら心を落ち着かせることに努め、そのできごとを消化しようとしただろう。しかし、賢治にはそれができなかった。トシや保阪のような愛する人を、賢治はどうしても自分の「一心」の世界の中に包含することができなかったのである。『銀河鉄道の夜』の最終稿は、そのことをよく示している。
賢治は愛する人と別れた傷をずっと引きずり、それとおのれの「一心」との間での葛藤を一生続けた。そういう葛藤のあとを『銀河鉄道の夜』には読むことができる。また賢治は羅須地人協会や晩年の東北砕石工場での活動から、東北地方の農民の生活をよく理解し、それに対して悩むところが多かったことも知られている。賢治は、こうした「他者」が、「一心」の中に包摂できない存在であることを肌で感じていたし、それと自分の「一心」の間で葛藤し続けた。だがそこにこそ賢治の文学者としての偉大さがあると私は思うのであり、その作品がいつの時代にもあらたに人々に読み継がれる理由なのではないかと考えるのである。