中世仏教綱要書と浄土宗西山義(2/2ページ)
親鸞仏教センター嘱託研究員 中村玲太氏
『十宗要道記』は仏心宗(禅宗)の立場から著されたものだが、浄土宗を否定することは、新しい宗派を打ち建てることの否定にもつながりかねない。そこで、新興の仏心宗として立場が近い浄土宗を十宗の枠組みに会通するロジックを採用したと考えられる。
確かに、同書の「浄土宗」理解は従来の諸宗を意識した言説では当然あるのだろうが、その理解を示す際、参照した浄土宗(=法然門流)側の教説があったとしても不思議ではない。参照した教説が浄土宗側のものであれば、法然門流の薫陶を受けた貴顕等もある程度、納得するであろうと考えたのではないだろうか。後述するように西山義の主張は必ずしも諸宗融和的なものだとは言い難いが、法華と浄土との一致を説く点は、聖道門の諸宗から見れば転用しやすい教義だったことは確かであろう。
本書が円爾撰述か否かの問題はあるとしても、東福寺系統の仏教綱要書であることは間違いない。東福寺は九条道家(1193~1252)の宗教構想下に建立されたが、その道家は證空にも帰依し、證空終焉の地である遣迎院(東福寺に近接)の建立も道家に依るものである。凝然撰述の『東大寺円照上人行状』巻中には、後嵯峨帝(在位1242~46年)に対して、「浄土法門」を證空の弟子・證慧が、禅門を円爾が授けたと伝える。他の法然門流に比べれば、円爾、もしくは東福寺の系統の人師にとって西山義は近い存在であると認識していた可能性は高いと考える。西山義を知る者からすれば、(その教義を転用すれば)浄土宗も十宗の枠組みの中に無理なく融和できると理解していたのではないか。その上で立論されたのが、『十宗要道記』「浄土宗」の項だと推定する。
親鸞の玄孫にして、浄土真宗において後世への影響力を持った存覚は、西山義への参学経験もある。存覚『歩船鈔』を論じる前提として、西山義の「化前序」説について確認しておきたい。證空には、諸経典を『観無量寿経』に至る序章――「化前序」――だと位置づける思想がある(詳細は、拙稿「證空における『化前序』説成立とその展開」『印度學佛教學研究』65・1号参照)。罪悪離れがたき凡夫を済度するのが釈迦の出世本懐であり、声聞や菩薩などの聖者を対象とした教えが「化前」、前段階の教えということになる。なお、諸経に対する「化前序」という観点だけでは、単に諸宗が時機相応ではないと宣言するだけのように見える。しかしそうではなく、罪悪の自覚、他力を根本として、そこから様々な教えや実践が成就される、というのが證空独特の教説である。
さて存覚は、善導『観無量寿経疏』に依拠しながら、『歩船鈔』「浄土宗」の項で「一代化前の諸教は聖人を益し、『観経』所説の念仏は、凡夫を摂すと云事なり」としている。善導の言う「化前序」とは、『観無量寿経』において王舎城に釈尊が教化に赴く前段階を指してその場面に名付けたものである。それ以上の意味はなく、「化前」=(浄土教に至るまでの)釈迦一代の教え、と解釈したのは證空特有の思想である。
存覚がここで、「一代化前」として、「化前」の意味を釈迦一代の教えにまで拡大し、なおかつその化前の教化対象を「聖人」だとする解釈は、西山思想を前提とするものであろう。『歩船鈔』には、念仏と諸行の解釈など必ずしも西山義を受容していない箇所もある。親鸞の教えを相承する者として、西山義にそのまま依らない点があるのは至極当然のことではある。しかし、浄土真宗特有の教義が前面に出ているわけでもない。
存覚が仏教の枠組みを提示するにあたり、西山義の「化前序」説を参照し得ると考えたのは間違いないだろうが、一方で、浄土宗各派の特徴的な教義が打ち出されているとも言い難い。西山義にも参学した存覚だからこそ、浄土宗各派の教義が多様に展開することをよく理解しており、「浄土宗」を統一的に記述する難しさを熟知していたのではないだろうか。どのように記述しても浄土宗各派の教義と衝突する項目も出てくるが、いわば最大公約数的な記述をしようと心がけたのが『歩船鈔』「浄土宗」の項なのだと考えたい。
歴史的に「浄土宗」はどのように理解されてきたのか。各著述者と浄土宗西山義との距離感という検討軸を据えることで、はじめて見えてくるものがあると筆者は考えている。これは西山義の決して看過できない影響力を示すものでもある。