理念なき時代の理念 真人社の歴史的教訓(1/2ページ)
真宗大谷派親鸞仏教センター嘱託研究員 宮部峻氏
真宗大谷派の改革運動・同朋会運動は、1962年に始まった。「家の宗教から個の自覚の宗教へ」という同朋会運動のスローガンは、運動の開始から半世紀以上の時間が過ぎた今も、放棄されることなく、正統なものとして語られる。
このスローガンは、制度・宗学双方の封建遺制を克服し、近代化を図っていく同朋会運動の理念を表したものであり、教学的には、習俗に囚われず、個人の体験に信仰の根拠を置いた清沢満之の精神主義以来の近代教学に支えられている。
同朋会運動の理念は、教団の行政改革を推進する理念であると同時に、信仰運動から生み出されてきたものでもある。そうであるからこそ、歴代の宗務総長の演説でも、同朋会運動の精神に言及したうえで、教団のあり方が問われることが多かったのである。
しかし、運動の理念は、教団のあり方を問ううえで今なお有効かと尋ねてみた場合、多くの教団関係者は答えに窮するのではないだろうか。本紙10月20日付「風鐸」でも指摘されているように、今年6月の宗会にて内局が示した宗務改革原案の序文には、「『同朋社会』の理念が空文化」していると述べられ、宗務総長の演説でも「同朋会運動」への言及がなくなりつつある。
同朋会運動の理念に対する信頼が揺らぎつつある一方、大谷派では、「宗務改革推進本部」が設置されるなど、人口減少や過疎、門徒の「寺離れ」に対応するため、教団の行財政改革が課題となっている。
こうした行財政改革のキーワードを木越渉宗務総長は、「simple but effective」(シンプルだが効果的に)という言葉で表している。このキーワードは、組織改革に求められる合理化・効率化を端的に表した表現であろう。
それでは、同朋会運動で言われてきた「個の自覚」の理念と現在推し進めようとしている行財政改革とはどう関わっているのだろうか。現在の行財政改革は、同朋会運動のように、信仰・教学に依拠した改革なのだろうか。
こうした疑問を、おそらく多くの宗門関係者が抱いていることであろう。しかし、その問いに対して、明確な答えを見出すことができていないのが現状なのかもしれない。
どうやら、再び、信仰と組織とをつなぐ理念を紡ぎ出さなければならないときが来たようである。それでは、いかにしてなすべきか。こうした悩みに直面して取り組んだのが、同朋会運動の前史である「真人社」の活動であった。
真人社は、48年に結成され、62年まで活動している。メンバーは、曽我量深、安田理深といった今日の大谷派の近代教学にも大きな影響力を残し続けている教学者に加え、のちに宗務総長として同朋会運動を主導する訓覇信雄らであった。
結成当初、真人社は、教団内での改革組織というよりは、在野的な活動を中心とした組織であった。改革を提唱し、既存の教団体制を批判していたことから、教団中枢からは「アカ」としてGHQに密告されるなど、当時の大谷派内では異端的な組織でもあった。
ときは、敗戦後、GHQによる「民主化」要求の時代である。同じ時期、本願寺派では48年に、大谷派では49年に蓮如御遠忌が執り行われる。その費用捻出にあたって、両本願寺教団は、寺格・堂班と呼ばれた、僧侶や寺院の位階・席次を本山への献金・礼金に応じて与える仕組みを活用した。
本願寺派寺院出身で講座派マルクス主義者であった服部之総らは、こうした寺格・堂班を「封建的」な制度であり、民衆に対する「阿片的な搾取」を行うものであるとして厳しい批判を展開した。真宗教団の封建的な構造に対する批判が高まり、教団内部でも民主化の必要性の認識が強まるなか、結成されたのが真人社であった。