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大谷派の法衣装束調査(2/2ページ)

千總文化研究所所長 加藤結理子氏

2021年10月14日 09時20分

法衣装束の多くはたとう紙と呼ばれる包み紙が付属しており、法衣装束の名称、色、生地、文様の名称、納めた年が墨書で記され、納めた装束師の印が押されている。中でも色の名は白、黒、紫のほか、赤系、黄系、青系、茶系など37種が確認された。例えば赤系の色は「紅」「赤」「緋」「紅鳶」「紅檜皮玉虫」「紅梅」「紅木蘭」「紅鼠」「葡萄」「樺」「紅椛」などが見られた。

歴史的には、法衣には僧侶の身分に合わせた紋様や色があり、着用には許可が必要であったとされるが、このような微細な色の違いは何を意味するのか、法衣商が独自の色見本帖を持っていたのか、あるいは装束をあつらえるたびに注文主から指定されたのかといった点も、法衣装束の研究を深める上で非常に興味深い。

今回の調査では、「御用御装束師千切屋惣左衛門」が手がけたと考えらえる法衣装束が20点ほどが確認された。たとう紙の墨書については先述の通りだが、たとう紙が失われている、あるいはたとう紙の墨書と異なる特徴を持つ法衣装束が中に納められている場合も少なくなかった。そうした時代や装束師を特定できない法衣に関しては、千總が所蔵する図案との比較を行った。その結果、実物の法衣と同一と考えられる図案が1点発見された。

当時どのように寺院から受注し制作されていたかは、まだ明らかになっていないが、注文のたびに図案を一から作り、図案、糸の染色、生地の製織など細かな分業を「御装束師」が取りまとめていたのではないかと考えられる。

その背景には、公家文化とも密接に結びついた寺院の文化、細かな有職故実の知識が求められたであろう。千總には難波家と飛鳥井家からの蹴鞠の免状が残されており、公家社会と関わりながら商いを進めていたと考えられる。宮中との距離が近い京都の商人だからこそ可能であった商いの形態があったのではないだろうか。

「御装束師」という商い自体がいつどのように成立したのかといった点も含め、千總に残された文書類の解析を進めるとともに、法衣装束に限らず広く京都の商人の文化を捉えた研究が求められる。

「千切屋惣左衛門」以外に確認された法衣商は「本山用達長澤清七」「御用御装束師田中利兵衛」「御用御装束師黒川丹後掾」「のむらみの屋藤九郎」「御用御装束師浅井粂三郎」「御用御装束師三木宗七」「御法衣所加藤源兵衛」「真宗御法衣打敷調進所野々口治郎吉」「當御殿御用御装束調進所高林九右衛門」「御用御装束師柴田正次郎」「御用御装束師川田治兵衛」「法衣職御用達長澤清七」のおよそ12軒であった。

いずれも京都に店を構えており、それぞれの法衣商が装束を納めていた時代は、重なっている時期もあるが、江戸時代後期から昭和時代にかけて出入りしていた法衣商に少しずつ入れ替わりがあったことが推測される。

今回の調査の中で想定より困難であったのが、法衣の着用者を明らかにすることであった。たとう紙の墨書には「拝領」「御譲」「潤色」といった言葉が見られ、制作年が記されているものでも、元々はどなたのもので、どなたに伝わったのか、判別がつかない場合があるのである。

今後のさらなる調査が望まれるが、ここから読み取れるのは、装束の再配分の流れが存在していたということである。大谷派においては装束は一代限りのものとされながら、儀式に及んでの拝領や譲渡があり、頂いたものを染め替え、仕立て替えして大切に着用する文化、装束を通しての僧侶間の交流があったと考えられる。

法衣装束の調査研究はまだ始まったばかりであり、また筆者の浅学も手伝って雑駁としたご紹介となってしまった。法衣装束に見られる日本の伝統ある寺院の文化を紐解くには、染織の歴史と技術だけではなく社会史、宗教学など学際的な視点が必須である。今後も様々な分野の専門家の皆様とご一緒に研究を深めていきたい所存である。

本調査にあたっては、大谷派圓正寺の住職の山口昭彦氏、2010年より本徳寺の染織品、文書類を調査し、その成果を展覧会等で発表された同朋大文学部教授の安藤弥氏、同大仏教文化研究所客員所員の青木馨氏にご指導を頂いた。また装束のご所蔵者には多大なご理解とご協力を賜った。この場をお借りして謝意を表したい。

一般社団法人千總文化研究所 株式会社千總に関わる有形・無形の文化財を核として「京都」「技術」「美」の三つのテーマを柱に調査研究・教育普及活動を行う。学際的研究を通じて、文化と社会のつながりを浮き彫りにし、新たな文化の創造と継承を目指している。

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