コロナ禍と宗教界―国際宗教社会学会発表から(1/2ページ)
北海道大大学院教授 櫻井義秀氏
日本では約45%以上の人が新型コロナウイルス対応のワクチンを二度接種しており、おそらく希望者は年内に接種を受けられる。これでコロナ禍は終わるだろうか。
ワクチン接種後に感染する人もおり、重症化する人もいる。ワクチンによって作られた抗体のレベル(抗体値)が人によって違うからである。そこで抗体値を下げないために3度目のブースター接種が欧米で始まった。ワクチンの効力が1年以上ということはなさそうである。他方で、世界では接種率が約27%にとどまり、日本を含め感染がおさまらない地域では変異株が次々に生まれ、国を閉じない限り流入する。コロナウイルス初期対応のワクチンでは効能が薄れてきているという報告もある。
日本でマスクをしない生活が来年中に実現するとはとうてい考えられない。昨年11月に西村康稔経済再生担当大臣が、今後の感染者数の動向について「本当に神のみぞ知る。予測をすることは極めて難しい」と述べた。野党は政府が見通しすらつけない責任放棄と厳しく批判した。しかし、この発言は科学的には正しかった。それから10カ月経ち、日本ではデルタ株による感染爆発が生じている。
新型コロナウイルス感染はいつ終わるのか。1918年、第1次世界大戦時に発生したスペイン・インフルエンザでは、世界で5億人以上が罹患し、約4千万人が亡くなり、日本でも約38万人の死亡者を出した。世界中の人々を襲ったインフルエンザは約3年で終息した。その後、57年のアジア・インフルエンザでは約200万人、68年の香港インフルエンザでは約100万人亡くなったが、2年の内に終息している。新型コロナウイルスの死者数は世界で約450万人なので、スペイン・インフルエンザ以来のパンデミックだが、医学的な終息の見通しは今のところたっていない。
ところが、ワクチン接種率の高いイギリスやアメリカでは、重症化率が下がったことを理由にソーシャル・ディスタンスを強いる社会的規制(ロックダウンや外出・集会の禁止)をやめ、マスク着用すら義務ではなくなった。ワクチン接種者は国内旅行や一部海外旅行も自由になっている。つまり、社会的にはコロナ禍の終息を宣言したのである。
既に、日本でも緊急事態宣言や時短要請、県をまたいだ移動の自粛要請を気にかけない人々が相当数出てきており、自粛疲れとフラストレーションのはけ口を求めている。菅義偉首相は、パンデミックの終息宣言(「人類がコロナに打ち勝った証」)のみ自粛して、無観客で東京五輪を開催し、日本は国家として元に戻った体裁をとった。その結果、中等症以下の国民に医療アクセスを制限し、自宅療養者約15万人に迫る事態となった。
医療と政治、社会政策のちぐはぐさ加減に、国民の社会的信頼――行政や専門職が自分たちの命を守ってくれるという安心感――が減退し、社会的孤立――自分の身は自分で守るしかないという諦めが生まれ始めている。こうした状況に宗教界はどのように対応すべきだろうか。そのことを考える際、コロナ禍の1年半、日本や世界の宗教界はどのように対応してきたのを参考にしたい。
7月12日から15日まで、国際宗教社会学会(ISSR)大会がオンラインで開催された。「現代宗教におけるグローバル/ローカルな視点――宗教文化の浸透、移転、転換」の大会テーマにふさわしいデジタル会議だったが、コロナ禍で現代宗教はどのように変容したか、その示唆もあった。
私は同僚の伍嘉誠・北海道大准教授と「コロナの時代における宗教とウェルビーイング」という部会を持った。コロナ禍への対応は諸宗教、地域ごとに共通点や差異があり、危機の時代に宗教がどのような対応をこの1年半でしてきたのかを比較検討したのである。