最上稲荷山妙教寺のおみくじ(2/2ページ)
成蹊大文学部教授 平野多恵氏
最上稲荷のおみくじで法華経の句に添えられた和歌は、漢訳経典の和訳ともいえる。そう考えると、その英訳版は、漢文から和文へ、そして英文へと、日本の翻訳文化を体現する存在といってよいだろう。
法華経のおみくじは他にもある。江戸末期に作られた『法華経御鬮霊感籤』である。明治・大正時代まで版を重ねたが、観音籤のように一般的ではない。現在、浅草酉の市で知られる長國寺の公式サイトで、この本に基づくおみくじを引くことができるが、寺院境内で授与されるのは酉の市の開催日に限られている。
同じ法華経のおみくじとはいえ、この本の法華経の引用句と最上稲荷おみくじのそれは一致するところが少なく、両者に関連はないようである。
一方、最上稲荷のおみくじの和歌と「~ごとし」という比喩の文は、江戸後期、18世紀後半に刊行された『晴明歌占』とかなりの部分で共通する。平安時代に陰陽師として活躍した安倍晴明にこと寄せた和歌占いの本である。江戸時代、安倍晴明は占いの名人として知られ、「晴明」の名を冠した占い本が多く出版されていた。
最上稲荷おみくじの歌の半数以上が、この本の歌と一致するほか、歌句の一部が共通するものも多い。吉凶や「~ごとし」という文も重なる部分が多く、その密接な関わりが注目される。
とはいえ、相違点もある。たとえば、雲がかかった秋の月の歌を例にあげると、『晴明歌占』が「眺むれば恋しき人の恋しさに」と恋歌なのに対し、最上稲荷のおみくじでは「神風がふかば晴れなん」と神の加護を詠んだ歌である。歌に「神風」とあるのは、最上稲荷が神仏習合の寺院だからであろう。
こうした神仏習合の要素は、「神や仏の利生ある身は」(第十六番)、「神の利生」(第三十三番)など、他の歌にも見られる。
ただし、『晴明歌占』と全く一致しない歌もある。そのうちの一首「過去よりも未来に通るかりの宿 雨ふらばふれ風ふかばふけ」は、江戸初期の禅僧・鈴木正三の法語集『盲安杖』(1619年成立)に載る一休の道歌と酷似する点で注目される。最上稲荷おみくじは江戸初期に作られたと伝えられており、この歌の存在は、その伝承を検討する手がかりとなるだろう。
ここまで最上稲荷おみくじを分析し、その神仏習合の要素と江戸の和歌占い本との共通性を述べてきた。
江戸後期から幕末にかけて和歌占いの本が何種類も出版されていた。そのうちの一つに天神の和歌みくじ本『天満宮六十四首歌占御鬮抄』がある。このおみくじは占う前に天神経と観音経を唱えて天神と観音菩薩の加護を祈る。これは天神を観音菩薩の化身とする神仏習合の信仰に基づいている。形式的にも、江戸初期から流布していた観音籤の影響がある。
江戸時代までは、神社と寺院が同じ境内にあることも多く、神社でも仏教系の観音籤がもちいられていた。しかし、それらは明治維新による神仏分離を契機として次第に姿を消し、仏教の影響を排除した神社独自の和歌のおみくじが新たに作られるようになったのである。寺院は漢詩、神社は和歌というおみくじの棲みわけも、こうして生まれたのだった。
かつては漢詩に和歌を添えたおみくじが他にもあったが、現在では、ほとんど廃れてしまった。最上稲荷のおみくじが時代の波を乗り越えて、仏菩薩の言葉をあらわす漢詩と、神の言葉をあらわす和歌を併記するかたちを継承してきたのは、神仏習合の信仰が生きる場であったからだろう。
現代では、わかりやすさを重視して、神仏のお告げである漢詩や和歌をなくしてしまうおみくじが少なくない。そのような中、平易な解説を加え、英訳版もある最上稲荷のおみくじは、今を生きている。そこには神仏のお告げのありがたさと人々に親しまれるわかりやすさがある。
おみくじの歴史をたどると、そこには当時の人々の願いや祈り、流行や思想が映し出されている。身近なおみくじを通して日本的思想の特徴といえる神仏習合の世界に触れることができる。その点で、最上稲荷のおみくじは今を生きる文化遺産といえるだろう。