オウムの暴走を許したのは誰か―地下鉄サリン事件から25年③(2/2ページ)
弁護士 中村裕二氏
私は、長野県警がKY氏の物置から押収した薬品類に関する押収品目録を見たことがある。警察が作成した押収品目録には、薬品類について化学式がいくつか記載されていたが、明らかな誤記が確認できた。警察は化学薬品のこともサリンのこともよく知らなかったのである。KY氏の代理人弁護士が、警察に対し、「押収した化学薬品ではサリンは製造できない」と説明しても、長野県警の幹部は聞く耳を持たなかった。ある幹部が捜査にあたる現場の警察官に対し、「KYが犯人でないと思う者はこの部屋から出て行け」と言ったという話も漏れ伝わっている。
警察は、知識も情報も無い、未知の化学兵器サリンの前に全くの無力であった。警察の前に立ちはだかった「化学兵器の壁」が、オウムへの捜査の大きな障壁となった。
また、警察幹部は、何よりも警察組織のメンツを重んじたため、一刻も早くKY氏を犯人に仕立て上げることに血道を上げ、オウムが完全に捜査対象から外れてしまった。警察の前に立ちはだかった「組織の壁」が、オウムへの捜査の大きな障害となった。
5 結局、警察の前に立ちはだかった①宗教団体の壁②管轄の壁③化学兵器の壁④組織の壁、それら四つの大きな壁の前に、警察はオウムの暴走を止めることができず、世界を震撼させた地下鉄サリン事件を許すこととなる。
1 オウム事件の警察の捜査に深刻な問題があったことは前述したとおり明らかである。しかし、オウムの暴走を許したのは警察だけの責任ではない。
国や地方自治体、マスコミ、メディア、宗教学者、知識人、著名人、大学など学校、弁護士会など、様々な分野の組織や人物についても、オウムの暴走を許した責任があるのではないかと、私は今でも自問自答している。
2 国は、オウム事件後、サリン等の製造を禁止する法律を作り、また警察が管轄の壁を破り広域捜査ができるように警察法の改正を行ったが、テロ事件の再発を防止し、被害者や遺族を迅速に支援できる体制を整えることができたのか。
東京都は、89年8月オウムに宗教法人格を付与した当事者として被害者や遺族、国民に対し説明責任を十分果たしてきたのか。
3 マスコミは、警察発表を鵜呑みにして、松本サリン事件で被疑者扱いを受けたKY氏について、えん罪報道を続けてしまった責任を今でも痛感しているのであろうか。
メディアや宗教学者、知識人、著名人たちは、麻原彰晃やオウムの若者たちを面白おかしく取り上げて、オウムの暴走に力を貸したのではないか。
4 大学など学校は、カルト教団の危険性を学生たちに教えていなかったばかりか、学生たちが校内で勧誘されることを漫然と放置していなかったか。
弁護士会は、オウムの顧問弁護士がサリンを用いて滝本太郎弁護士を甲府地方裁判所構内で殺害しようとした事件で、同顧問弁護士をなぜ懲戒することができなかったのか。
1 私は、オウムの暴走を許したのは、私たちの心の中にある四つの壁ではないかと思う。四つの壁に囲まれた、私たちの中にある「見て見ぬふりをする心」、それこそがオウムの暴走を許した要因であると考えている。
2 宗教のことは関わりたくない、化学のことは苦手、自分の管轄外のことには触れたくない、会社や学校など組織に迷惑をかけたくない――オウムに対する私たち一人ひとりの心の動きがオウムの暴走を許したのではないか。
3 第2、第3のオウムが出てきたとき、その暴走を止めることができるかどうかは、ひとえに私たち一人ひとりの心の働きにかかっていると思う。