天台座主への道 ―経歴法階とは―(2/2ページ)
大正大仏教学部特任准教授 木内堯大氏
法華十講とは『無量義経』一巻、『妙法蓮華経(法華経)』八巻、『観普賢菩薩行法経』一巻の計十巻に関して、その教学内容を議論する法要である。まず読師と講師が向かい合った高座にのぼり、読師が経典の巻物をとりあげ経題を高唱する。次に講師が経典の解釈を唱える。次に首座探題が出題した内容に関して、問者が経典の文の中の疑問点を講師に質問し、これに講師が答える。広学竪義とは異なり講師は学徳兼備な僧侶が担当するのである。このような法要は講経論義あるいは論義法要と呼ばれ、延暦寺一山の僧侶が総出仕して厳修されている。
この二つの法要で問者・講師をつとめた僧侶が、6月4日に伝教大師の御廟のある浄土院で行われる長講会の五役に選ばれる。五役とは唄・散華・講師・問者・読師である。唄と散華は法要を彩る声明を唱える役である。
長講会とは伝教大師の廟前で行う論義法要のことである。講師と問者による問答は約2時間も続き、最後に天台座主探題大僧正の精義(おしらべ:問答の可否の判定と補足)があり、合計3時間ほどにも及ぶ法要が終わる。
この長講会において、延暦寺一山の住職では五役、地方寺院の住職では三役を勤め終わった僧侶の中から、天台座主がその年の8月に行われる戸津説法の説法師を任命する。
戸津説法とは東南寺説法とも呼ばれ、比叡山の麓、琵琶湖西岸にあたる戸津の浜の東南寺(滋賀県大津市下阪本)で開かれる説法会のことである。最澄が比叡山の鎮守神である日吉山王権現への報恩感謝、両親への追善菩提、及び民衆教化のために法華経の説法をしたのが始まりとされ、かつては坂本の生源寺、下阪本比叡辻の観福寺、東南寺の3カ寺で、10日ずつ計30日にわたって行われてきたが、焼き討ち以後は東南寺のみとなった。また明治以降には8月21日から25日の5日間に短縮されている。
初日は法華三部経の開経である『無量義経』、2日目は『法華経』第一巻、3日目午前は第五巻提婆達多品、午後は地蔵盆に因み『地蔵菩薩本願経』、第4日目は第八巻観世音菩薩普門品、第5日目は結経である『観普賢菩薩行法経』等を中心に一般の大衆に向けた説法が行われる。そして、この戸津説法を終えると、探題集会を経て天台座主より望擬講に補任される。
次に望擬講の中から探題・已講・擬講・望擬講・宗務総長・延暦寺執行による選挙で擬講が選出される。擬講は4年に1名であり、後述する法華大会において、已講に代わって中日の広学竪義の一ノ問の問者を一昼夜のみ勤めるという役割がある。
擬講に選出されると4年ごと(五年一会)に行われる法華大会広学竪義に先立ち、前年に行われる別請竪義に臨む。別請竪義は探題からの算題に対して、一ノ問は已講が、二之問・三之問は望擬講が質問をし、竪者である擬講が決答するという論義法要である。
この法要が終わると探題集会を経て天台座主が擬講を已講に任命し、一ノ問の問者である已講が同じく天台座主から探題に任命される。
新探題と已講は翌年10月に6日間にわたって行われる法華大会広学竪義において重要な役割を担う。法華大会広学竪義とは天台宗随一の古儀の法会であり、天皇の勅使を招くことから古来より「勅会」と呼ばれ、法華十講と夜を徹して行われる広学竪義という二つの論義法要により構成されている。法華十講の講師は已講が勤める。
また、天台宗僧侶にとっての最終試験である広学竪義は、探題が試験問題を出題し、5人の問者から矢継ぎ早に質問がなされ、それに竪者が答えるという形式の論義法要である。竪者が涙ながらに答えたことに由来する泣き節という節回しが現在も伝えられており、探題の精義に合格した竪者は縹帽子を身につけることが許可される。
法華大会の『法華経』五巻目にあたる中日には、天皇使と新探題、已講の三者が殿上輿に乗って三方向から会場である大講堂の前庭に集まる三方の出会いという儀式が行われている。
このように経歴法階とは、天台宗の統轄者である天台座主が、教学の面においても最高の権威を有するということを示すものであり、学問と修行を共に学び行う解行双修という天台宗の教義を代表する存在であることを意味していると言えよう。