米国での安居修行(2/2ページ)
曹洞宗興教寺副住職・横浜善光寺留学僧 浅摩泰真氏
彼らが修行に打ち込む理由も様々だ。日本文化そのものを好み、学びを進める中で禅に共感した者。ナチュラリズムと禅の生活様式がコミットしたことを理由に挙げる者も多い。しかし、修行に来た理由を掘り下げると、「病気」「被差別」「いじめ」「大切な人との死別」等々、人生の根本問題、四苦八苦に行き着く。この道場に集結した人々は皆、本当の幸せ、心の安らぎを求めて踠き苦しんできた人たちだった。その人たちを、大きく扉を開いて迎え入れたのが禅道場だったのだ。
修行は苦しいものと理解している人は多いだろう。しかし、修行は本来「安楽」なのだ。人生を苦なるものにしている自我欲望の自己から解放し安楽な生活を実現するのが修行だ。ここに集う人たちもとても穏やかに満ち足りた様子で修行しているのだ。
道元禅師は悟りを目的にした修行を否定し、「修証一等」、つまり修行と悟りは一つであり、純一に修行する刹那刹那に証(さとり)が現れていると示された。『正法眼蔵辯道話』には「修を離れぬ証を染汚せざらしめんがために」と示し、鈴木老師はこれを受け、「煩悩により染汚しないように、修行を純粋なものにしておくこと」の大切さを強調された。染汚とは、自我欲望の自己により相対分別の心を惹起することである。相対分別から取捨選択・違順憎愛等の心を起こさず、実相としての縁起に身心を任せ切る修行が、そのまま悟りであり、救いなのだ。
12月8日、明けの明星をご覧になった釈尊は、大宇宙と隔てのない一つの命を生きていることを覚られた。我見を持ち込まなければ、草木や釈尊とも一つの命なのだ。ここでの修行は、その教え通り大自然と一つ命となって過ごす。修行の舵取りは大自然、プラネタリウムのような星降る晩は、禅堂西側の広場で座布団と坐蒲を並べて坐禅し、皓皓たる満月の下で行ずる布薩は、包み隠さず全ての過ちを懺悔せずにはいられない。川畔で経行をし、雨季には雨音に身を寄せて時を忘れて坐り込む。
制中が終了すれば、それぞれの道を進む。禅心寺に残る人、もともと修行していた道場に戻る人。仕事を持つ在家修行者は職場に復帰し、また修行に必要な費用が貯まれば禅心寺に戻ってくる。
「禅の素晴らしさをどう伝えるべきか」との答えを求め、禅心寺までやって来たが、「修行こそ救いである」という一つの答えに辿り着いた。ある在家の女性修行者が禅の世界に導かれたのは、料理人になることを夢見ていた20歳の息子を事故で失ったことだった。息子への愛着と喪失感暗闇、苦しみのどん底に落ち、生きる自信を求めて禅の世界に飛び込んだ。
彼女は「坐禅修行を中心とした生活が、今は亡き息子と一つ命を生きていることを実感させてくれた。私が、この人生を受け入れ納得して今を生きることが、まだ生きたかった息子の思いに応え、ともに生きることなのだ」と言う。
禅の修行に救われている彼女の姿を見て思い返される言葉がある。曹洞宗特派布教師の西田正法老師(明林寺住職)が「先祖供養の教化的再構成」として提唱されている「生き方としての供養」である。縁起の立場から教理として正しく説ける先祖供養を標榜され、「真の供養とは自らの生き方だ」と言われる。暗闇から光の中へと歩を進めた彼女はまさしく「生き方としての供養」の実践者として、亡き息子と生きている。絶望の淵に立たされた人が、ZENの修行により救われている姿は多くの日本人にも希望を与えるに違いない。
21世紀のひと時、世界で最も豊かで自由な国・アメリカで、物質文明と強力な自己主張との狭間で懊悩した人たちが、鈴木老師によって伝えられたZENに救われている現実を目の当たりにすることができた。
日本での禅は、現状から更にステップアップするための厳しく苦しい鍛錬法のような印象が強い。しかし、3カ月という短い期間の修行であったが、禅の修行はそのものが救いであることを改めて学ぶことができた。今後、救いとしての禅を自信を持って布教していきたい。自ら命を絶つほど苦しみに悶える多くの現代人の心に、古くから日本人を救ってきた伝統的な思想「禅」が届くことを願って。