米国での安居修行(1/2ページ)
曹洞宗興教寺副住職・横浜善光寺留学僧 浅摩泰真氏
今や禅(ZEN)は、世界の様々な分野から注目されている。あのスティーブ・ジョブズが禅(ZEN)の修行に励んでいたことは有名である。この禅(ZEN)に対する海外での印象は、「禅(ZEN)=日本」と言っても過言ではないだろう。
しかし、海外での印象がZEN=日本であっても、翻ってどれ程の日本人が禅に馴染んでいるだろうか。また曹洞宗の僧侶として「人々に禅を伝えている」と自信を持って言えるだろうか。禅の素晴らしさを人々に伝えるにはどうすべきかを逡巡していた筆者だったが、横浜善光寺留学僧育英会の留学僧として渡ったアメリカの禅堂で、その答えの一つを見つけることができた。苦悩する現代人にZENが救いとなっている現実を目の当たりにしたからだ。
「Zen Mind,Beginner's Mind.It is wisdom which is seeking for wisdom」(「禅心、初心。それは智慧を求める智慧である」)。これは、アメリカにZENを伝えた故鈴木俊隆老師の言葉である。鈴木老師が遺された融通無礙な教えに世界中の人々が導かれ、没後も老師の教えに身を任せようとする人々の流れは止まることがない。そして、その流れはカーメル渓谷に辿り着く。
サンフランシスコ都市部から4時間、険しいオフロードの先に、カーメル渓谷、郷愁漂う美しい茅葺き屋根の山門が現れる。放飼式動物園を思わせる厳重な自動扉が開き中へ進むと、紅葉や銀杏の木立が静謐さを醸しだす。禅堂や開山堂は日本建築。脇の小道に鹿やリスが姿を現し、奈良や鎌倉を彷彿とさせている。
鈴木老師は1959年に渡米し、日系アメリカ人が中心となって建立したサンフランシスコ桑港寺の住職になった。「毎朝、5時半から坐禅をしています。あなたもいかがですか」と書いた紙を寺の前に張り、ひたすら坐禅をし、布教を続ける中に、徐々に信者が増えていった。
62年には、坐禅修行に徹するための道場であるサンフランシスコ禅センターを設立。そして67年、カリフォルニア州タサハラにアメリカで最初の禅院となる禅心寺(タサハラ禅マウンテンセンター)を開いた。56歳でアメリカに渡り、68歳で亡くなるまで12年間、この僅かな歳月でアメリカにおける禅の基礎を築かれた。
禅心寺は日本の禅道場と同様、禁足して90日間集中的に修行する「制中」が設けられている。筆者は秋安居に参加した。毎日6炷(1炷は約40分)の坐禅、朝昼晩の食事も坐禅で応量器で頂く。昼から夕方にかけては作務、堂長やプラクティスリーダーの法話、今回のテキストである「正法眼蔵山水経」を講義とディスカッション形式で学ぶ時間があった。希望者は袈裟や絡子を縫う指導も受けられる。また、月に1回約7日間の「摂心会」があり、食事も含めれば15炷の坐禅を行じる。
制中への参加は、基本的に各道場で半年以上の修行を経験した者が許される。日常の作法、禅道場特有のルールなど一定程度の理解が求められるのだ。しかし、換言すれば、一定の基準さえ満たしていれば、在家・出家者を問わず、制中に参加することができるのだ。3カ月もの期間を在家出家の枠を超えてともに仏道修行に専念できることは、ZENの世界に身を投じたい者にとって掛け替えのない場になる。
世界各地から集まった32人の修行仲間は実に様々だった。年齢は20~70代。国籍はアメリカ、エチオピア、カナダ、ドイツ、フランス…そして日本。性別も世に知られているカテゴリーのほとんどを網羅していた。