宗教的言説の難しさ―曽我量深没後50年④(1/2ページ)
真宗大谷派教学研究所助手 都真雄氏
仏教者として筆者は、自らの実存における自覚の重要性を実感している。その点については既に真宗大谷派の曽我量深(1875~1971)をはじめとした多くの先学の著作において指摘されているが、それは教学が生活から分離され、机上の空論になることもあるからである。
それと同時に、経典や論書等の聖教の言葉は欠くことのできない重要なものである。とは言いながらも仏教語、それ自体が難解である。そもそも仏教語はインドの原語から漢文等に翻訳されて日本に流入しており、その翻訳の際には、翻訳者の思想が付加されることもある。
それに加えて経典は、個人や学派や宗派が持つ思想的な傾向によって様々な解釈がなされる。それらは経典や論書の中で見いだされたものだけではなく、その時代や国で流行している語義や語感、あるいはそれまでになかった個人的感覚も仏教語の意味として混入してくるからである。
そのような状況において近現代のインド仏教学では、数多くの研究者が、サンスクリット語やパーリ語、チベット語、漢文等を用いて、厳密かつ実証的な考察を進めており、現在までに膨大な研究が蓄積されている。そしてその学術的な立場から様々な指摘がなされている。
それらについては多種多様な指摘があり、研究者のそれぞれの思想的な立脚地も異なるわけであるが、数種類の言語を用いた学術的な考究に基づく指摘であることは共通している。
例えば近年で話題となったのは、大谷大名誉教授である小谷信千代氏が、曽我をはじめとした真宗教学者へ指摘したことである。小谷氏は往生について、生滅を超えた無生の生として捉えるのではなく、輪廻転生等の場合に用いる「生(ウパパッティ)」であるとの指摘をされている。この小谷氏の指摘は、言葉の概念が異なることを示していると言えよう。
さらに時代を遡れば、曽我に対する批判として、1972年、東京大教授であった平川彰(1915~2002)の指摘がある。曽我が1962年、講演会において「法蔵菩薩は阿頼耶識である」と述べたことに対して、曽我の死後、平川は、阿頼耶識ではなく如来蔵であることを学術的な論考によって述べたのである。
その指摘は、言語上においては、「鉱床」等を意味し、如来蔵思想に関連するアーカラ(法蔵)と、「住居」等の意味をもつアーラヤ(阿頼耶)は術語としての概念が異なるということである。また凡夫の有する妄識としての阿頼耶識と、はかり知れないほどの修行を行じた清浄なる菩薩としての法蔵が同一とは言い難いということである。
しかしながら曽我は平川から指摘される以前から、既に平川と同様の発言をしているのである。曽我は法蔵菩薩について60年の大谷派の安居において、以下のように述べている。
菩薩であるけれども、法相唯識の阿頼耶識と違うのでありましょう。(『曽我量深選集』第8巻、弥生書房、76ページ)
また、その3年後の63年、大谷大大学院の講義において、明確に次のようにも述べている。如来蔵は法蔵菩薩、法身は阿弥陀如来である。(『真宗大綱』曽我量深講義録下、春秋社、195ページ)
曽我はこの二つの発言の間の62年に「法蔵菩薩は阿頼耶識である」と述べているわけである。つまり曽我の中には、明瞭に法蔵菩薩が法相宗で述べる阿頼耶識ではなく、如来蔵と言いうるとの認識もあったのである。それにもかかわらず曽我はあえて法蔵菩薩が阿頼耶識であることを表現しているのである。