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曽我量深研究の可能性―曽我量深没後50年①(2/2ページ)

真宗大谷派教学研究所所員 名和達宣氏

2020年6月26日 12時57分

そしてこの懇談会を経て、三者は教団教学の中枢に関わっていくこととなる。曽我の場合は、同年に大谷大教授及び侍董寮出仕に就くと共に、翌年には教団の最高学事たる安居の本講を務め、戦時下の危機的状況のなか、「真宗再興」を旗印に『歎異抄』を講じた。

ところが敗戦後、曽我はGHQの公職追放に遭い、またもや大谷大教授を辞することとなる。それは、戦時下の教学の責任が一身に負わされたような事態であったが、その一方で、宗政では訓覇信雄、教学では安田理深、松原祐善をはじめとする門弟たちを通して、曽我の思想は教団内に確かな波紋を広げていった。

また教団外に対しても、京都学派(田辺元、西谷啓治など)に多大な影響を及ぼしたほか、禅や日蓮教学、キリスト教といった異領域の学者との間で、思想的対話を繰り広げている。

そうして、教団が宗祖親鸞聖人七百回御遠忌を迎えた61年、曽我は80余歳の高齢でありながら、大谷大の学長に就き、2期6年の任期を全うした。

■没後50年を転機に

以上、教団教学との関わりという観点より、曽我の生涯を概観した。一望して明らかなように、曽我が宗門大学の教授を辞職することになった要因は、伝統的な枠組みを重視する立場との確執や、いわゆる「戦時教学」という問題であった。これらはいずれも「近代教学」の抱える問題であり、特に後者については、かねてより種々の立場から批判が投げかけられてきた。ただし多くの場合、その象徴的存在(中心)として矢面に立たされるのは、元祖の清沢であり、門下世代では暁烏であった。

しかし、清沢の場合は逝去したのが日露戦争開戦の前年であるし、暁烏と比較した場合も、現今の教団教学への影響がより大きいのは曽我である。そのためこの問題は、今後、曽我を通してさらなる検証を加えていく必要があるだろう。

また曽我は、最晩年に雑誌『中道』で発表した講演録中の発言が差別的言辞として問題視され、侍董寮出仕を辞している。さらに近年では、小谷信千代による曽我の「往生」および「還相回向」の解釈に対する問題提起が大きな話題を呼んだ。こういった問題も個人に収斂させずに、「近代教学」全体に関わる問題、ひいては現代の教学の問題として、一人ひとりが対峙しなければならないだろう。

ところで、このたび迎える没後50年は、曽我量深研究の転換点(ターニングポイント)となるのではないかと考えている。指標としたいのは、京都学派の研究で知られる藤田正勝の示す、以下の視座である。

思想を学問研究の対象とするためには、自ずからその対象との距離が求められる。その距離によって、同時代の人がしばしば抱く、ある思想に対する強い思い入れや反発から離れ、その思想の意義をそれ自体として問題にすることができるからである。(『思想』1099号、2015年)

これは京都学派のなかでもその元祖に位置づけられる西田幾多郎(1870~1945)の没後70年に際して著された一文である。藤田によれば、それまでの西田研究では、西田の人格的・学問的な影響を直接受けた人々による「その思想を紹介したり、忠実に受けつごうという姿勢のもとでなされた研究」や、反発に基づき「評価よりも批判を優先するアプローチ」が多かった。それが50年ないし70年という時の経過が生み出す「距離」によって、思想を「客観的・学問的に評価するだけの隔たり」が生まれるというのである。

このことは、「近代教学」においては清沢研究の軌跡に見てとることができる。すなわち、逝去後しばらくの間は、直接薫陶を受けた門弟による追憶や顕彰が中心であったが、没後50年を転機として、教団の枠を越えた総合的な研究が始動した。そして没後100年に至ると、岩波書店から新版の全集が出されると共に、全集編纂にも携わった今村仁司の一連の研究(「哲学者」の側面の発掘)などにより、その可能性はさらに広がっていった。

曽我においても、この没後50年という節目は、同様の転機となり得るだろうし、そうしなければならない。

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