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謎多い絵師・俵屋宗達の実像(2/2ページ)

日蓮宗大法寺住職 栗原啓允氏

2020年6月22日 09時26分

宗達以前から俵屋一門にとどまらず、当時の京都には各種の商工座の座衆として経済的実力を蓄えた多くの日蓮法華衆一門が存在しました。例えば西陣の織物師たちによって組織された「大舎人座」では紋屋、俵屋を始めとして、31家を数える座衆がすべて日蓮法華宗の信徒であった事実はこのことを象徴しています。その他にも刀剣に関わる本阿弥(本法寺信徒)、絵画制作の狩野(妙覚寺信徒)、俵屋(頂妙寺信徒)、長谷川(本法寺信徒)、彫金の名門後藤(妙覚寺信徒)、蒔絵師の五十嵐(本法寺信徒)、西陣織の紋屋井関(妙蓮寺信徒)、銀座支配の大黒屋湯浅(頂妙寺信徒)、茶碗屋の楽(妙覚寺信徒)、呉服商の雁金屋尾形(妙顕寺信徒)、海外交易の茶屋(本能寺信徒)など今日に至るまでその家名が伝えられている一門がありました。

加えて彼らはその経済的実力を背景に、今日もなお日本の伝統文化として認識されている各種の文化芸能の普及に深く関わっていました。例えば能楽の謡曲本を広く刊行した本阿弥光悦、連歌界を主導した里村紹巴(頂妙寺信徒)、俳諧の祖ともされる松永貞徳(本圀寺信徒)、囲碁の家元である本因坊日海(寂光寺第2世)、将棋の家元としての大橋宗桂(頂妙寺信徒)などが挙げられます。つまり現在も洛中に16を数える日蓮法華宗本山は彼らを外護者の中核として営まれていたのです。

また宗達の生きた時代には職業選択、通婚などは自身が所属する一門の宗教的規範に基づいて行われることが常識でした。そして当時の日蓮法華宗では本山から信徒に対して「一家一門皆法華」という信仰規範が要請されており、信徒たちもこれを遵守して法華信仰を同じくする一門間で相互に通婚を繰り返しながら重層的な血縁関係を結んでいました。

加えて彼らは信仰、血縁のみならず自身の家職もまた相互に重ね合わせていました。例えば彫金の後藤一門が制作する三所物などの刀装具の下絵は狩野一門が手掛けていました。京都国立博物館所蔵、重要文化財「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」に至っては、和紙を京唐紙の祖とされる紙屋宗二が漉上げ、その上に俵屋宗達が絵を描き、寛永の三筆を謳われた本阿弥光悦が三十六歌仙の和歌を書き流して制作された作品です。ちなみに紙屋宗二は蓮池常有らとともに鷹ヶ峯、光悦町に移住した熱心な日蓮法華衆であったことが分かっています。

つまり中世後期には日蓮法華衆は相互に信仰・血縁・家職を重層的に共有し、時には一門から所縁の本山の貫主をも輩出しながら「広範で強固な日蓮法華衆のネットワーク」を形成していたと考えられるのです。1615(元和元)年に本阿弥光悦が徳川家康から拝領した洛北鷹ヶ峯の地に4カ寺の寺院を中心として、本阿弥始め蓮池、紙屋、尾形、茶屋などの著名な日蓮法華衆の一門が集い、共に信仰生活を送った光悦町は「広範で強固な日蓮法華衆のネットワーク」の具現した姿でもあったのです。

中世後期から江戸中期に至る日本の文化芸術の基礎が培われた時代を主導した芸術家、文化人らの作品とその背景を総合的に広く国内外に発信するために昨年、一般社団法人「日本文化芸術の礎」を発足しました。当社団の活動に関心のある方は左記の事務局までお問い合わせ下さい。

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