ティラウラコット遺跡発掘の現状(2/2ページ)
立正大教授 則武海源氏
第一次調査団出発にあたり中村元博士が「日本人としてまさに快挙である。ティラウラコットの発掘の結果、その地がカピラ城跡でないことが判ったら大成功である。カピラ城跡と確認される資料が出土したら、それ以上の大成果となろう」と壮行の辞を述べられ、当時の日本の学界の期待が寄せられている。
発掘調査報告書は雄山閣から公刊されており、現在の発掘技術・調査方法・保存修復概念・技法とは新旧異なるが、今なお輝かしい業績として周知されている。
立正大学で発掘した出土文物はネパール考古局本庁に収納保存されていたが、考古局の火災で全て散逸したという報告を受け現在所在確認を急いでいる。その中にはクシャン朝やインド・グリース期のコインや貴重な文物が多数含まれている。
現在のティラウラコットの考古学調査は2014年から先述のUNESCO JFITの協力を得て「釈尊の誕生の地ルンビニーの保護・管理の強化」と題したネパール政府ルンビニー整備総合プロジェクトの一環として進められてきた。責任者はカニンガム教授と前ネパール考古局長のコーシュ・プラサッド・アーチャリヤ氏である。
このプロジェクトにはネパール考古局ならびに世界遺産に伴うルンビニー開発トラスト、ダラム大の他、日本・スリランカ・タイ・パキスタン・バングラディシュなどの研究者・大学院生などがボランティアで参加し、精力的に発掘調査が行われた。立正隊を含めた先学の調査と異なる城郭構造やカンタカ・ストゥーパ南側の僧院跡発見、併せて多くの文物が出土している。新たな歴史的・考古学的発見があり、発掘調査報告書の刊行が待たれるところである。
この発掘調査のベースキャンプとなっているのは法華宗陣門流の立正院シャンティビハール(法華宗学林教授・村上東俊住職)である。この僧院は師父村上日源上人が、ティラウラコットに仏教寺院が無いことを嘆き、現地法人を設立して発起建立した寺院で、初代法人会長には、元ビレンドラ国王第一秘書兼初代ルンビニー開発トラスト会長のローク・ダルジャン氏が就任したほどのネパール政府公認の一大事業であった。
しかし1995年4月に日源上人が完成を見ずに突然遷化。97年3月、法華宗陣門流総本山本成寺鈴木日艸貫首を導師に入仏落慶大法要を営まれ、現在師父上人の遺志をついだ東俊師が住職を務めている。
2014年1月、ティラウラコット発掘調査のベースキャンプにとの要請があり、本ビハールはティラウラコットの発掘の拠点として、出土遺物の仕分け作業・記録はもちろん、カニンガム教授やダラム大学関係者、ユネスコ、ネパール考古局、世界各国の発掘調査団の受け入れや宿泊、食事の提供や会議など、様々なバックアップ機関として精力的に活躍し、法華宗陣門流もこれに合わせて毎年多額の支援を行ってきた。
しかしこのシャンティビハールが世界遺産登録に向けた公園化事業の中で存続の危機に瀕しているのである。
これまで無償でティラウラコット発掘事業を支えてきたシャンティビハールが、政治的思惑の見え隠れする中で、ネパール政府に接収されようとしている。
日本の外務省、UNESCO JFITのもと進められているティラウラコット発掘調査と関連づけ、全日本仏教会はもとより、各宗派・各教団を超えた日本の仏教界全体の支援、本事業への取り組みが必要であると考える。