摂折論再考―その始まりと近現代までの展開(1/2ページ)
日蓮宗善龍寺住職 澁澤光紀氏
「日蓮聖人の御本懐は摂受である」として平成の摂折論争を巻き起こした今成元昭師(国文学者・日蓮宗僧侶)が、2020年1月10日に94歳で御遷化された。今成師のこの見解は、折伏を当然とする日蓮門下に賛否両論で迎えられ、摂折をめぐる教学論争に火がついた。
論争は1999年から11年間に渡って続けられたが、筆者はこれに編集者としてかかわり、その内容をまとめて『摂折論争がわかる本』(日蓮宗東京都西部教化センター刊、2011)を発刊した。
教学の刷新を図る機会でもあったこの論争は、しかし幾つかの課題を残したまま収束した。あらためてこの論争の意義が何だったのか、摂折論の歴史的展開を振り返り、再考していこう。
教化法としての摂受・折伏の初出は、『ミリンダ王の問い』(1世紀頃)の「折伏の意義」の章となる。この章はミリンダ王が尊者ナーガセーナに「他人を害せず親切なれと教える如来が、折伏すべき者は折伏し摂受すべき者は摂受せよとも言われる。折伏とは折檻し死刑に処し命を断つことであり、如来の言葉に相応しくない」と問うことから始まっている。
尊者は「人を害せずは不変の教戒だが、高慢心は折伏され、卑下心は誉められ(摂受)、盗賊は折伏される」と答える。王が「盗賊の折伏とは?」と尋ね、尊者が「死刑に処すべき者を死刑にする」と答えると、王は「如来は死刑を是認したのか?」と問い詰めた。尊者は「盗賊は自らの行為によって殺されたのであり(自業自得)、この折伏(処刑)に如来は関与せずその教戒は常に正しい」と答え、王も賛同してこの章が終わる。
摂受の語意は「誉められる」、折伏は「高慢心の制御から盗賊の処刑まで」となる。尊者の答えから、仏は教戒して王は処罰する役割に分かれ、仏法と王法により正法を護持していく形が既に認められる。また「高慢心の制御」は自己折伏であり、ここに摂折の語意の原型を見ることができる。
その後の『勝鬘経』では、摂折の目的は令法久住(法をして久しく住せしむ)で、それを「摂受(護持)正法」と呼ぶ。『勝鬘経義疏』には「重悪をば即ち勢力を以て折伏し、軽悪をば即ち道力を以て摂受す」とあり、勢力折伏(王法)と道力摂受(仏法)により正法を護る。これが摂折の布教の基本形となる。
次の天台教学では、摂折を語句からでなく『法華経』と『涅槃経』の経説内容から解釈し、行門と教門とで意味を広げて論じられた。
行門では『勝鬘経』の基本形を受け継ぎ、『法華経』が摂受、『涅槃経』が折伏となる。『法華経』安楽行品の「長短を称せず」を摂受、『涅槃経』の「刀杖を執持し乃至首を斬れ」を折伏として、「与・奪、途を殊にすと雖も倶に利益せしむ」(『摩訶止観』)とする。折伏には、『涅槃経』の破戒者を呵責する覚徳比丘(仏法)とそれを武力で護る有徳王(王法)の話から、王の勢力折伏が配されている。
しかし教門では、正直捨方便の教えの『法華経』は折伏(法華折伏破権門理)になり、諸門の方便を許す『涅槃経』は摂受(涅槃摂受更許権門)に配当されて、共に円教の大海に帰すとする。
『法華文句』の「不軽品」註釈では、釈迦と不軽の説法が対比されている。釈迦の対告衆には過去世での法華経の善根(仏種)が有るので小乗教から説くが、不軽の対告衆には善根が無いため直ぐに法華経を強毒すべしという。その強説によって謗法者は善悪の両果を得て、謗る罪で堕悪するも、毒鼓の力で善の果報も獲得する。
また湛然は『止観義例』で摂折を種熟脱の三益と逆化順化に関連させて論じている。そして『法華文句記』では不軽行を逆化として、不軽を謗る逆縁の者の方が順縁の者よりも功徳を得るとした。
このように智顗と湛然は摂折の意味を広げ、折伏の解釈として不軽行を逆化と下種と毒鼓に結び、後に不軽行が逆縁下種の折伏行として解釈される論拠を整えた。だが、天台教学の円教の摂折論では「取捨宜しきを得て一向にすべからず」として摂折の妙用が基本となる。