宋代禅国際学会―東アジアの一仏教伝統における学際的視座(2/2ページ)
駒澤大教授・禅研究所所長 石井清純氏
研究発表の初日には、釈教歌と道元に帰せられる『傘松道詠』の関連を分析するジャン=ノエル・ロベール・コレージュ・ド・フランス教授の基調講演の後、日本人研究者を中心に現代の宋代禅研究の最先端が紹介された。
まず石井名誉教授が黙照禅と看話禅を中心に宋代禅全般について語ったあと、小川隆・駒澤大教授が唐代禅の「問答」と宋代禅の「公案」について、土屋太祐・新潟大准教授が「無事」禅批判と看話禅について、柳幹康・花園大准教授が『宗鏡録』を軸に諸教・諸宗が一元化された宋代以後の仏教について、それぞれ発表。ついで、チャオ・ジャン博士が禅院の住持の職務からみた宋代禅宗の特色、フュイアス教授が宋代の詩人への禅的思考の影響を語った。
2日目は、宋代禅の域外展開についての発表が続いた。アルバート・ウェルター・アリゾナ大教授は栄西の、フレデリック・ジラール・フランス極東学院名誉教授は道元の、それぞれの入宋経験の意義について語り、石井公成・駒澤大教授(代読)は、ベトナム竹林派への、ブルヌトン教授は韓国曹渓宗への展開について紹介した。
パメラ・ウィンフィールド・イーロン大教授は『正法眼蔵』と禅院の建築様式に五行思想の影響をみるというユニークな視点を提示し、石井清純は十方住持制と伽藍相続制を結びつけた輪番住持制の形成を通して、宋代禅の日本的変容について論じた。
むすびはディディエ・ダヴァン准教授による、禅の西洋への展開に関する発表であった。宋代禅が中近世に一度日本化(生活化・日本語化)され、それが20世紀に欧米社会へと展開していった様相が解明され、宋代から現代にいたる禅の流れが締めくくられたのである。
両日ともに、発表後に活発な討論が行われた。発表内容は、コレージュ・ド・フランスおよび駒澤大学禅研究所の両機関誌において発表される予定である。
3日目はソルボンヌ大学に於いて禅籍の読書会を実施した。一つのテキストを皆が共同で読み進めるという読書会の伝統は、日本独自のもので、欧米や中国では頗る珍しいものらしい。なかには何時間もかけて数行しか進まないこの日本の方式を非効率と揶揄する西洋の学者もあったと聞く。しかし、日本では禅籍の読解は入矢義高を中心とした会読によって開拓され、今日もそうした会読の中からこそ新しい研究が生み出されている。この企画は、その方式をフランスの研究者に体験してもらおうという試みであった。具体的には現在、我々が東京で月1回行っている禅籍の会読(東京大東洋文化研究所の班研究S―3「中国禅宗語録の研究」)をそのまま彼の地で実演する形であった。
題材は『大慧武庫』の一節。幹事の土屋准教授の作成した詳細な資料をもとに、多数の語録や随筆の記述をクロスオーバーさせながら一字一句の含意を吟味する作業に、現地の研究者や院生がたいへん興味を持ち、総勢13人で熱心な議論が交わされた。
同日午後は、フランス国立図書館でペリオ本の敦煌写本を直接参観する機会も得ることができた。実に1926年、胡適がここで神会の文献を発見し、そこから近代的禅宗史研究が始まったのである。我々は100年近く前に禅宗史という学問が始まった場に立ち会ったような感激を覚えた。
禅は現在、フランスに限らず、欧米からの注目を集めている。それは文化的学術的な興味だけではなく、宗教的な実践として受容されている。しかし、その交流は、決して盛んとはいえない。欧米各国において、研究者も参禅者も多くの情報を求めている。それと同時に、欧米の禅研究者たちも、いまや日本の研究者にとって無視することのできない成果を発表している。これからの禅研究に東西の学術交流は、ますます重要度を増してくることは確実である。今回の試みが、それを促進する布石の一つとなってくれることを願う。