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釈尊と仏弟子たちの日常生活―釈尊教団形成史と釈尊の生涯⑤(1/2ページ)

東洋大名誉教授 森章司氏

2020年4月23日 13時10分
もり・しょうじ氏=1938年生まれ。三重県出身。東洋大大学院文学研究科修了。博士(文学)。専攻は仏教学。著書に『仏教比喩例話辞典』(東京堂出版)、『初期仏教教団の運営理念と実際』(国書刊行会)など多数。

釈尊は「犀の角」(「スッタニパータ(経集)」の冒頭部分にある経)のようにただ独りで遍歴しながら一生を終えられたのではない。むしろ僧院の中でサンガの比丘たちと一緒に生活される方が多かった。「犀の角」のように森の中で1人で1日を過ごされたというイメージは韻文経典からの印象であって、散文経典からはそのような印象は受けない。韻文というのは韻を踏んだ詩形の文学形式であって、現代でもそうであるが詩というものは、作者の心象を文学的に装飾し誇張して表されるのが常である。それに対して散文というものは、現実生活をリアルに描くことを目的として書かれることが多い。

今まで「犀の角」の印象が強かったのは、韻文経典の方が散文経典よりも成立が古く、したがってこちらの方がより釈尊や仏弟子たちの原風景を描いているという学説が主流だったからである。しかし私たち釈尊伝研究会ではそうした聖典観には反対で、これを採用しなかった。本稿でも散文経典に記された釈尊と仏弟子たちの日常生活を紹介する。これは800余りの経の記述に基づいたものである。

ところで冒頭に釈尊は僧院の中で日々の生活をされていたと書いた。しかし最初の僧院が建設されたのは釈尊が成道されてから12年目の釈尊46歳の時であって、それまでは釈尊も仏弟子たちも洞窟や園林の樹下などで夜を過ごしていた。だから僧院を生活の拠点にするようになったのはそう早いことではなく、釈尊の教えがインド社会に定着して、サンガが安定的に運営されるようになった以降のことである。本稿はこの時代をイメージしている。

また釈尊の生活と仏弟子たちの生活は師と弟子の違いはあるけれども基本的には同じであるので、これからは釈尊に視点を置いて叙述する。また女性の出家修行者である比丘尼が生まれたのは釈尊58歳の成道24年のことであるが、比丘と比丘尼の生活も基本的には異なるものではないから、ここでいう比丘には比丘尼も含意されているものとご理解いただきたい。ただし比丘と比丘尼は同じ一つの僧院には住まなかった。サンガは比丘サンガと比丘尼サンガに分かれており、僧院には比丘の僧院と比丘尼の僧院があった。釈尊も男性であるから比丘サンガの一員である。

なお釈尊の主な活動地域は第2稿に記されているように、ヒマラヤ山脈とデカン高原に挟まれたヒンドスタン平原のその中央部のガンジス河中流地域であった。釈尊はこの地域から外に出られたことはなかったし、仏弟子たちの活動地もこの地域を一回りか二回り大きくした地域に限定されていた。釈尊教団の運営システム上、彼らの活動地はこれ以外には広がりえなかったのである。この地域は北緯24度と28度の間にあり、北緯23度27分の北回帰線のほんの少しだけ北に位置するから、北緯35度50分ほどにある東京よりは暑さは暑いけれども、冬も温暖であり、ガンジス河の恵みもあって地味は豊かであった。釈尊はこのような気候風土の中で一生を過ごされたことを頭に入れておいていただきたい。

釈尊の1日は春分・秋分の頃を基準にしていえば、だいたい早朝時分(午前6時半~10時半)、食事時分(10時半~午後1時)、午後時分(午後1~5時)、夕方時分(5~6時半)、夜分(6時半~翌朝の午前6時半)の五つの時間帯に分けるとわかりやすい。早朝時分は夜明けとともに始まる。太陽の出る方角の空に手をかざして、指の間に明るさが認められるころが夜明けである。釈尊は起床されるとまず侍者の用意した楊枝で歯を磨かれ洗顔されてから身支度をされた。食事は原則として1日に1回とされているが、もし粥とかスープのようなものがあればこれを食べることも許されていた。食事を比丘が自らの手で作ることは禁止されていたから、僧院の片隅に住んでいた使用人(浄人という)が用意したものであるが、釈尊がこのようなものを食されたという記録はない。

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