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汎太平洋仏教青年大会 ― その光と影 ―(2/2ページ)

龍谷大教授 中西直樹氏

2020年3月12日 09時10分

第1回大会は、仏教青年会の国際連合組織の結成と、第2回大会の日本開催を決議して終了し、この決議を踏まえて、昭和6(1931)年4月3日に「全日本仏教青年会連盟」が産声をあげ、東京・日比谷公会堂で盛大な結成式が行われた。それまで個々に活動していた各地の仏教青年会の連合組織を結成し、統一行動に踏み出したことは第1回大会の大きな成果であった。

第2回大会では、各国から代表総勢666人が参集し、日本側役員を加えると約1千人にもなり、各宗派の有力者を総動員して大会を支えた。北米代表92人、ハワイ代表138人、カナダ代表9人のほとんどは日系人だった。しかし、アジア各地から、満州33人、中国8人、シャム10人、シンガポール1人、ビルマ2人、インド11人の参加があった点で、第1回大会とは異なっていた。その一方で、満州国代表の参加に関東軍特務機関が協力し、三菱合資会社・三井合名会社・外務省文化事業部から大口寄付を受けるなど、日本政府・軍部・財界からの強い支援を受け、アジア植民地政策との協調関係を強く意識した大会ともなった。

このため中国側は、大会を満州国の承認をねらったものであると反発を強め、正式な代表派遣を拒否した。その後、藤井静宣(真宗大谷派僧侶)らの奔走によって、6人の中国人僧俗が個人参加することになった。また、後に中国仏教の指導者である太虚と蒋介石が会談した際、中国代表が大会に参加することに何ら支障がないとの見解を示したことが伝えられ、その後の日中の仏教親善に望みをつなぐことになった。

アジア各国からの参加者のなかには、大会がアジアと仏教の復興に寄与することへの期待感を示した者もあったが、決議を急ぐあまり「ファッショ気分濃厚な進行法」がとられたと、北米仏青代表団副団長が指摘している。運営上の不手際も多かったようだが、ともかくアジアの仏教者が一堂に会した点は意義深いものであったことも事実である。

第2回大会では、正式な中国代表派遣が見送られたが、大会に個人参加した中国僧俗と日本側の大会関係者の間で関係修復を目指す動きがおこり、昭和9(1934)年9月に「日華仏教研究会」、翌年7月に「日華仏教学会」という日中の仏教関係者の親睦団体が組織された。ところが、会発足の前後から現地では抗日活動が活発化し、反日テロ事件も頻発した。そして、昭和12(1937)年7月、盧溝橋事件が勃発して日中の全面戦争に突入すると、日中仏教の交流も途絶していった。

その後の戦時体制の進行は、第3回大会にも暗い影を落とした。開催候補地をめぐって、友好国のタイ開催を望む外務省と、満州国開催を強く推す軍部との間で迷走した。開催地を決定できないまま、敗戦も色濃くなった昭和18(1943)年8月に至って、「大東亜仏教青年会」と名を変えて開催された。この大会では、「大東亜共栄圏内」の青年仏教者の総力を結集して、「大東亜戦争完遂」への協力が目的に掲げられ、陸軍省・海軍省・大東亜省・文部省・情報局・大政翼賛会・東京府・東京市・大日本仏教会・国際仏教協会・東京仏教団の後援を得て開催された。日本のほか、満州、中華民国、蒙疆(もうきょう)、タイ、仏印(ふついん、フランス領インドシナ)、ビルマ、インド、マライ、ジヤワ、フィリピン等(呼称は当時)の青年仏教者団体に招待状が発送され、アジア各国からの参加者62人を含め約500人が参集した。こうして戦時下における日本仏教者の国際交流に向けた願いは、「大東亜共栄圏」建設の目的のためへとすり替えられていったのである。

戦後、これらの大会のことは忘れ去られ、その事実を知る者も少ない。そうなった背景には、戦時下での国際交流への挫折と無力感、アジア諸国への罪悪感が影を落としているのかもしれない。そして、そのことが、戦後の日本仏教の国際交流の低調さの要因になっている可能性も考えられる。その意味では、新たな仏教国際交流の道を踏み出すためにも、国際協調と世界平和への道を貫くことのできなかった日本仏教のあり様を含めて、戦時下の仏教国際交流の歩みを改めて問い、検証してみる必要があるように思えてならない。

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