1300年目の『日本書紀』(2/2ページ)
國學院大日本文化研究所所長 平藤喜久子氏
また、因幡のシロウサギの神話やその後に続くオオクニヌシの根の国訪問などの神話は、古事記にしか記載がない。いわゆる出雲神話に相当する部分である。
2019年11月には大嘗祭が行われたが、この儀礼を神話と結びつけて解釈したのが折口信夫であった。折口は、1930年に「大嘗祭の本義」という論文のなかで、大嘗祭の悠紀殿と主基殿にある「寝座」という寝具について、日本書紀のなかで、天孫ホノニニギが天降る際にくるまれていたという「真床覆衾」を意味しているとし、大嘗祭で天皇はこの「寝座」=「真床覆衾」にくるまれて真の天皇になるのだと論じた。
現在では否定されている説であるが、神話学でも、一般でも広く受け入れられた説である。
この「真床覆衾」にくるまれるという話は日本書紀にしか登場しないエピソードである。天孫降臨という天皇をめぐる重要な神話と思われるものであってもこのような違いがあることは興味深い。
日本神話というと、一つの流れを持つ古事記を中心に紹介されることが多いが、異伝を多く記す日本書紀にも豊かな神話世界を見出すことができるだろう。
さて、古事記と日本書紀は19世紀後半になると海外からも注目されるようになった。日本が国際社会に本格的に参加し始めた頃であり、ちょうどヨーロッパで宗教学、神話学が近代的学問としての草創期を迎えた時期でもあった。古事記については、1882年にイギリス人のチェンバレン(Basil Hall Chamberlain)が英語に、同年レオン・ド・ロニ(Leon Lucien Prunol de Rosny)が上巻のみフランス語に訳している。
日本書紀も、明治期に3種類の言語によって翻訳されている。部分訳だが84年のロニによるフランス語訳、96年のアストン(William George Aston)による英訳。そして1901年のフローレンツ(Karl Adolf Florenz)によるドイツ語訳である。
彼らが翻訳に託した思いはそれぞれだろう。フランスのロニは、古事記と日本書紀を日本の聖典だととらえ、想像力を発揮してフランス語に訳そうとした。そのため残念ながら翻訳としてはほとんど顧みられなかったようである。チェンバレン、アストン、フローレンツの翻訳については、ヨーロッパで日本という新しいフィールドへの学術的関心が高まっていった状況に対して、日本研究者として応えようとした姿勢をみることができる。
なかでもアストンが1896年に刊行した翻訳Nihongi, chronicles of Japan from the earliest times to A.D.697は、120年以上経った現在でも、唯一の全訳である。
イザナキとイザナミの結婚の場面のように、彼が性的と感じた部分はラテン語に訳されるなど、19世紀イギリスの道徳観を伺うような箇所もあるが、全体的に読みやすい翻訳となっており、さらにアンドリュー・ラング(Andrew Lang)など当時の神話学の成果も取り入れ、比較神話学的な知見に基づく注釈があることも注目される。
その後の神話学でも日本の神話を知る重要な資料として活用されてきており、20世紀を代表する神話学者であるレヴィ・ストロース(Claude Levi-Strauss)は、彼の神話学の主著である『神話論理』のなかで、アストンの翻訳に基づいてスサノオの神話を取り上げ、アメリカ大陸にみられる神話との類似を指摘し、人類の移動の歴史との関連を推論している。
古事記はチェンバレンとロニの翻訳の後、ドイツ語、イタリア語、ポーランド語、ロシア語、中国語、韓国語、シンハリ語などさまざまな言語に翻訳されてきた。日本書紀は、分量が多いこともあるかもしれないが、その後ほとんど翻訳は刊行されていないようである。
国際社会を意識し、古事記とは違った神話も多数伝える日本書紀。記念の年ということで関心が高まり、研究や翻訳がさらに展開することを期待したい。