1300年目の『日本書紀』(1/2ページ)
國學院大日本文化研究所所長 平藤喜久子氏
720年、日本で最初の正史とされる日本書紀が編纂された。2020年は、それからちょうど1300年目となる。
日本書紀の編纂に先立って、712年には古事記が編纂されており、この古事記と日本書紀を併せて記紀と呼ぶ。いずれも歴史書と位置付けられ、神話や伝説、歴史的伝承を記すが、二書の間には、さまざまな違いがある。
古事記は天武天皇の命で、稗田阿礼という若者が当時さまざまに伝えられていた伝承を学び、後にそれを太安万侶というそれほど身分の高くない役人がまとめ上げ、712年に元明天皇に完成を報告したとされる。上中下の3巻である。「フルコトブミ」とも呼ばれ、「古い話」といえば通じる範囲で読まれるものだったのだろう。神名や地名といった固有名詞や歌謡などは、大和言葉の「音」を外来の文字である漢字で表記する。例えば「くらげ」という大和言葉を「久羅下」と記すのである。口承の物語をそのまま伝えようという工夫であろう。
日本書紀は、というと舎人親王ら、天武天皇の皇子たちが編纂に関わって作られた。全部で30巻、巻1、巻2が神代、すなわち神話である。タイトルに「日本」とあることからも、この書が国際的な場を意識し、日本がどのような国であるか、どのような歴史を持つのかを示そうとしたとわかる。そのことと関わり、歌謡以外は東アジアで通用する比較的純粋な漢文で記されている。日本で最初の「正史」と位置付けられ、720年の完成以降、朝廷では尊重されてきた。宮中では、日本書紀を学ぶことは教養の一つだったのだろう。源氏物語を読んだ一条天皇が、「作者はよほど日本書紀を読んだのだろう」と言ったため、紫式部に「日本紀の局」というあだ名がついたことは、「紫式部日記」を通して有名なエピソードとなっている。この話は平安期における日本書紀の位置付けも示しているといえよう。
神代、すなわち神話の部分について、古事記と日本書紀の違いを紹介してみたい。古事記は、一つの視点から神々の物語を描くが、日本書紀は一つのエピソードを伝える「本書」に対して、「一書」として複数の異伝を記す。日本書紀は本書を相対化する意味で一書を残したのか。一書の存在の理由については議論があるところだ。
さて、神話の冒頭、世界の始まりについて、古事記は天地の始まりのときに、高天原にアメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カムムスヒが生じたと伝える。日本書紀の本書は、天地も陰陽も別れておらず、混沌として鶏の卵のようで、そこには生まれてくるものの兆しが含まれていた、という。まったく異なった世界の始まりのイメージである。日本書紀の記述については、中国の前漢時代の『淮南子』や三国時代の『三五暦紀』にある表現と共通していることが指摘されており、もともと日本で伝承されていたものではない可能性がある。
古事記の冒頭に登場する神は、アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カムムスヒで、この三柱の神は「独神」であるという。「独神」の解釈にはいろいろあるが、「性別がない」ということではないかともされる。日本書紀の本書では最初に登場する神は、クニトコタチであり、次がクニノサツチ、トヨクムヌで、いずれも男神であると明言されている。この最初の段には六つの一書があるが、そのなかでアメノミナカヌシの名が出てくるのは、第四の一書のみである。
このように古事記と日本書紀では同じエピソードを語っていても、活躍する神が異なっている場合が少なくなく、一方にしか登場しない神もある。古事記と日本書紀の間にみられる神話や神の扱いの違いについては、さまざまな立場からの研究がなされてきてはいるが、その理由の多くは謎のままである。
例えばアマテラスがオオクニヌシに国譲りを迫る場面では、古事記はタケミカヅチのみが使者として派遣されるが、日本書紀ではフツヌシも一緒に派遣されている。