第8回中日仏学会議に参加して(2/2ページ)
創価大教授・東洋哲学研究所副所長 菅野博史氏
『泥洹経』には、一闡提には仏性がなく、したがって、成仏できないと説かれていたにもかかわらず、道生は闡提成仏説を唱えて、迫害されたことが記されている。しかし、その後、曇無讖訳が建康にもたらされるや、果たして道生の闡提成仏説が立証される結果となったのである。
第二に僧叡の『喩疑』における鳩摩羅什と『涅槃経』との関係に対する言及である。『喩疑』の著者は慧叡とされているが、慧叡と僧叡が同一人物であるという横超説が日本では有力である。しかし、中国では、慧叡と僧叡は別な人物であるとしたうえで、『喩疑』の著者は僧叡であるとする説が有力である。
『泥洹経』が訳出されてまもなく、『涅槃経』を非仏説として批判する議論が生じたことが、『出三蔵記集』に紹介されている。「小乗迷学竺法度造異儀記」に、インドの商人、竺婆勒が中国で儲けた男児が出家して法度と名乗り、小乗を学ぶことに執著して、「十方の仏は存在しない。ただ釈迦を敬礼するだけである。大乗経典については、読誦することを許可しない」と述べたことや、慧導が『大品般若経』を否定し、曇楽が『法華経』を否定したことを記し、さらに彭城僧淵が『涅槃経』を誹謗して、舌根が腐ってただれたことが記されている。
このような情況のもとで、鳩摩羅什の高弟、僧叡が『泥洹経』の訳出後、長安から江南に移動し、『喩疑』という論文を執筆し、鳩摩羅什がもし『泥洹経』を聞いたならば、鳩摩羅什が喜んで『泥洹経』を受け入れたであろうことを主張した。これは鳩摩羅什の宗教的権威を借りて、『泥洹経』の真実性を主張したものである。
たとえば、『喩疑』には、「鳩摩羅什先生の時には、まだ『大般泥洹[経]』の文はなかったけれども、すでに『法身経』があり、仏の法身はとりもなおさず泥洹であることを明らかにしていた、今、訳出された[『泥洹経』]と割り符を合わせたように合致している。この先生がもしこの『仏に真実の我があり、一切衆生に仏性がある』ことを聞いたならば、すぐに太陽が心を明るく照らし、甘露が身体を潤すように、何も疑うことがなかったはずである」と述べている。
また、『法華経』と『涅槃経』の比較を踏まえ、「[鳩摩羅什は]答えた。『「法華経」の「仏知見」を開くとは、みな仏となる性があるといってよい。もし仏性があれば、またどうしてみな成仏することができないことがあろうか。ただこの「法華経」の明かしていることは、ただ仏乗があるだけで、第二の乗や第三の乗がないことを明かし、一切衆生がみな当然成仏すべきであるとは明かしていない。みな当然成仏すべきであるということについては、私はまだこれを見ていないが、また抑えつけて、無いともいわない』」と記述している。
『法華経』の一仏乗を、「一切衆生皆当作仏」と厳密には区別している鳩摩羅什の認識は、後代の『法華経』を一切皆成思想と見なす解釈と相違していて興味深い。いずれにしろ、ここでは、『涅槃経』の所説が鳩摩羅什の心に合致することを指摘している。
今、紹介したエピソードの後、大本の『涅槃経』は大いに研究され、『大般涅槃経集解』、浄影寺慧遠『涅槃経義紀』、吉蔵『涅槃経遊意』、灌頂『涅槃経玄義』『大般涅槃経疏』、法宝『大般涅槃経疏』、韋諗『注大般涅槃経』などの注釈書が著された。今回の史経鵬氏の発表によれば、敦煌写本には、53件の『涅槃経』注釈書の断片が保存されている。今後の中国における涅槃経疏の研究が期待される。