過疎化対策としての他出子世帯への着目 ― 過疎地寺院問題≪2≫(1/2ページ)
大谷大准教授 徳田剛氏
筆者が現職に就いた2017年から、過疎地域における寺院調査に参加している。実際に現地でお話をうかがったり、超宗派による過疎問題連絡懇談会などに参加して各教団の関係者の方々との意見交換を行ったりしながら、「過疎地域における寺院のあり方」についての論点整理を進めている。
過疎地域に立地する多くの寺院が直面している苦境については、筆者が取り組んでいる「地域社会とよそ者・移動者」に関する研究成果に拠りながら、次のように読み解くことができる。まず、寺院運営の基礎をなしている寺檀制度は、(かつての江戸時代がそうだったように)地域住民のほとんどが移住や移動を経験せず、特定の地域に何世代にわたって暮らし続ける「定住社会」を前提とした制度設計になっている。言いかえれば、定住者が多数を占める社会では、多くの寺院にとって、地域から出ていく人との関係維持や地域に入ってくる人との関係形成といった移動者・移住者への対応に取り組む必要はほぼなかった。
ところが、明治以降の産業革命の進行と農業国から工業国への転換、そして戦後の高度経済成長期における都市部の活況により、地方から都市への大規模な人口移動の波が何度も起こった。近年ではグローバル化による国境を越えた人口移動も常態化し、農工業に従事する外国人労働者や技能実習生、インバウンド観光客の存在を地方でも日常的に目にするようになった。こうした「移動社会」では、社会のメンバーの多くが何らかの形での移住や移動を経験することになるが、地方の寺院からするとこの変化は、比較的若い世代を中心に檀信徒が寺院の立地する集落や地域を離れてしまうことを意味する。
こうした「移動・移住する檀信徒の増加」は、寺院運営の活動対象範囲の「広域化」を招く。これまでのように檀家集団が定住者ばかりで構成されていれば、寺院側は在地の檀信徒への働きかけに専念していればよかった。実際に各地域・各寺院で取り組まれてきた教化活動は、もっぱら地元にいる檀信徒の信仰心や帰属意識をいかに強化するかに力点が置かれていた。
しかしながら、在地の檀信徒が減少し、若い世代が広域的に分散居住するようになると、寺院を維持していくために住職が遠方の檀家を訪問して法事を行ったり、郷里を離れたり居住地と行き来をしたりしているような移動・移住者に積極的に働きかけたりすることが必要になってくる。とりわけ後者については、浄土真宗本願寺派などが行ってきた、都市移住者を対象とする「離郷門徒の集い」や、能登地方で行われている「コンゴ詣り」(嫁出した女性が帰郷して郷里の寺院の仏事に参加する伝統行事)などの例を除くと、あまり積極的に取り組まれてこなかった印象がある。
近年、各地で過疎化対策として都市部からの移住促進(U・I・Jターンの推奨や新規就農者の募集など)によって国内移住者を増やしている地域があり、地方で暮らし、働く外国人も増加傾向にある。このようにかつてない形で外部からの移動・移住が起こるのも「移動社会」の一面であり、そうした人たちの誘致が地域振興策の重点課題となっている。しかし、日本の寺檀制度の性質からすると、これらの「よそ者」たちがすぐさま地元のいずれかの寺院の構成員(檀信徒)となるわけではないので、寺院振興の主要施策とはなりにくい。各地域・各寺院が取り組みやすいのは、やはり地元を離れた檀信徒(の子や孫)との関係構築という課題になってくる。
筆者はこれまでに、大谷大学の研究チームによる岐阜県揖斐川町での調査と、過疎問題連絡懇談会が中心となって実施された石川県七尾市での調査に参加し、その成果の分析作業の一部を担当した。これらの調査地には、①少子高齢化と人口減少が進行中の地域である②真宗大谷派寺院が多く信仰心の篤い土地柄である③近くの都市部から50~70キロ圏内に立地している――といった共通点がある。筆者はとくに、「各寺院の在地檀信徒の子・孫の人数と居住地」「他出子世帯の帰郷頻度とその理由」の2点に着目し、いくつかの集落調査のデータから、他出子の空間分布と他出距離、および郷里・居住地間の移動の実態について分析を行った。