井筒「東洋哲学」とエラノス会議(1/2ページ)
天理大教授 澤井義次氏
東洋思想・イスラーム哲学の世界的な碩学、井筒俊彦(1914~93)は『コーラン』(岩波文庫)を邦訳したことで広く知られている。さらに、代表的著書『意識と本質』などをとおして、彼独自の「東洋哲学」を構築しようとしたことで世界的によく知られている。近年、『井筒俊彦全集』(全12巻・別巻)が刊行されるなど、国の内外で井筒「東洋哲学」への関心が高まっている。
井筒は1960年代からおよそ20年間、研究の場を慶応義塾大学からカナダのマッギル大学へ、さらにイランのテヘランにある王立哲学アカデミーへと移し、海外で研究生活を続けた。その期間中、特に67年以降、エラノス会議に招かれ、ほとんど毎年、スイスのアスコナで開催されたエラノス会議で講演をおこなった。その講演内容が、このたび、『東洋哲学の構造―エラノス会議講演集―』(監訳・澤井義次、共訳・金子奈央、古勝隆一、西村玲)として慶応義塾大学出版会より刊行された。それは『意識と本質』へと連なる井筒「東洋哲学」の萌芽、および東洋思想の古典的テクストに関する具体的な解釈を示している。
井筒はエラノス会議において、東洋思想に関する講演を12回おこなうことをとおして、壮大な「東洋哲学」構想を醸成していった。本稿では、エラノス会議と井筒俊彦の関わりをめぐって、井筒「東洋哲学」成立とその背景を考察したいと思う。
エラノス会議は、エラノス財団によって組織運営され、毎年8月下旬、スイスのマッジョーレ湖畔のアスコナで開催された。この会議は1933年、オランダ人女性のオルガ・フレーべ=カプテインによって創立され、88年まで続いた。
この婦人は40代で、父親から膨大な遺産を受け継いだ。哲学、宗教(特にインドの宗教)、深層心理学に関心を抱いていたこともあり、宗教学者のルードルフ・オットーに東洋と西洋の対話の場となるような会議の開催について相談した。オットーはその会議名を「エラノス」と命名した。「エラノス」とは古典ギリシア語で、食事を共にしながら歓談する「会食」を意味する。ちなみに、88年以降も、「エラノス会議」が開催されているが、それは井筒が参加したエラノス会議と名称こそ同じであるが、開催の意図や方針はかなり異なる。
エラノス会議には、20世紀を代表する研究者が集い、宗教、神話、哲学をめぐる思想が交錯し統合し合う対話の場となった。エラノス会議に参加したおもな講演者としては、心理学のカール・ユング、宗教学のミルチャ・エリアーデ、神話学のカール・ケレーニイ、生物学のアドルフ・ポルトマン、イスラーム学のアンリ・コルバン、ユダヤ神秘主義のゲルショム・ショーレム、心理学のジェイムズ・ヒルマンなど、20世紀の学界をリードした、実に多彩な顔ぶれであった。日本からは、井筒の前に鈴木大拙が講演をおこない、後に宗教学の上田閑照と臨床心理学の河合隼雄が講演をおこなった。
67年、エラノス会議の講演者として招かれた井筒は、82年までほとんど毎年、禅思想をはじめ、東洋の宗教や哲学について講演をおこなった。井筒が30カ国語以上の言語に通暁していたことは、あまりに有名であるが、エラノス会議に参加するようになった時期から、井筒は次第に「自分の実存の『根』は、やっぱり東洋にあったのだ」と感じて、東洋の思想に深く関心を向けるようになった。