『台湾の日本仏教―布教・交流・近代化―』の刊行に寄せて(2/2ページ)
浄土真宗本願寺派慈願寺住職 那須弘紹氏
ハワイや北米では仏教および日本人は宗教的・人種的偏見にさらされ、決して良好ではない状況下にあった。アメリカにおいて日本という異文化の価値をそのまま宗教に結び付けて布教しようとすることは、言いかえればアメリカ文化の価値観を認めない態度であり、当然アメリカ人に受け入れられることは難しい。なのでハワイやアメリカでは仏教の普遍性をアピールすると同時に、アメリカ社会に適応したもの、つまり日本仏教からアメリカ仏教へと変革していかなくてはならなかった。
これに対し台湾での布教はアメリカのそれと大きく事情が異なっていた。日本は台湾を日本化していくための手段として日本仏教を利用し、また各教団側もそれに則って、台湾の既存の宗教を日本仏教化していくことに重きを置いていたようである。そこには日本仏教の各教団の思惑と、台湾および中国仏教の思惑、さらに台湾宗教界の思惑が重なり合い、信仰としての広がりというより、実利を優先した形で進んでいった部分が大きかった。
本書では、まずこのように台湾における日本の各教団の布教実態という大きな物語を論じた後、1935年に起こった新竹・台中地震での救援活動や、現在も形を変え残っている仏教慈愛院などの医療救済活動、そして教育事業など社会活動を通して、各教団と台湾社会との関わりと交流を論じつつ、徐々に日本仏教という大きな枠組みから、その「大きな物語」の中でそれぞれの信念のもとに生きた「個の物語」へとシフトしていく。
台湾を統治するために設置された「台湾総督府」、台湾で布教活動を繰り広げる「各日本仏教教団」、それにしたたかに対応していく「台湾仏教」および「台湾土着宗教」というのは、一つの括りでしかない。もしくは「符号」と言ってもいいかもしれない。当然といえば当然なのだが、歴史を作っていくのは、その括りの中(それは前述した括りであったり、時代背景であったり、その人物の育った環境でもある)で生きた個人である。個人にスポットをあてたとき、そこに私たちはリアリティーを感じることができるのだ。
本書にはその「個の物語」が散りばめられている。24名の研究者の多彩な研究論文の中で息をする、その当時を生きた多彩で多様な人物の人生を知るとき、台南で出遇った老人の言葉に感じたような「微かな生々しさ」を感じるのである。
台湾の日本仏教について、それぞれの想いを持った人々が確かに日本統治時代の台湾で活動していたのだということを、本書を通して知らされていく。私はこれこそが本書の最大の魅力だと思う。
最終章の第三章では、「台湾の近代化と大谷光瑞」と題して、台湾の日本仏教史上、最も大きな「個の物語」の主人公である大谷光瑞へスポットをあてていく。台湾は、アジア広域に様々な足跡を残した大谷光瑞が最後に到達した場所である。光瑞は台湾に定住を決意し、台湾南部の都市である高雄に「逍遥園」を建て、そこで自給自足の生活を送った。当時の日本人としては、世界的視野をもった光瑞もまた、台湾に希望を見いだしていた。
光瑞が建てた「逍遥園」は2010年に高雄市の歴史建築に指定され、現在修復工事が進められているそうだ。
最後になるが、本書は近代の日本仏教の海外布教地域の一地域である台湾についての研究論文集で、台湾における日本仏教の通底する問題を様々な角度から取り上げている。だがそれでも通底する問題とは何か十二分に解明したとは言えない。それはいまだ解明されていない日本仏教教団の海外布教に伴う指針などが、はっきりしないからである。東西本願寺教団の海外活動については、かなりの研究蓄積があるが、それ以外の教団についての研究蓄積は多くはない。本書のような論文集をきっかけに近代における日本仏教の海外布教についての研究が進み、明らかになっていくことを期待している。