『台湾の日本仏教―布教・交流・近代化―』の刊行に寄せて(1/2ページ)
浄土真宗本願寺派慈願寺住職 那須弘紹氏
約1年前、台湾の台南市で友人家族と夕食を共にしたことがあり、そのあと「祀典武廟」という『三国志』で有名な関羽を祀った廟に案内され、そこで一人の日本語が堪能なご老人を紹介された。台湾の高齢者には日本語をしゃべることができる人が多い。これも50年にわたる日本統治時代の無形遺産と言っていいかもしれない。
私の友人は日本語をしゃべれない。かといって英語で祀典武廟について説明できるほど英会話も堪能ではないし、それ以前に私の英会話のレベルでは理解できないので、友人が知り合いのご老人に説明をお願いしたのだ。
とても丁寧に廟の内部や、そこに祀られてある神仏について説明されるのだが、その中で老人が何度も口にした「日本もここは壊さなかった。だから道がここで曲がっているのです」という言葉が印象的だった。
言われてみれば、確かに廟の前までは真っ直ぐと伸びた道が、明らかに廟を避けるために左に曲がって廟に沿うようにして、また真っ直ぐ伸びている。
こういった現場を見たり、老人の語りを聞くと、それまで単なる知識として記憶していた「台湾の日本統治時代」という符号に、微かに生々しさが宿る。
冒頭から、何の話をしているのだと思われたかもしれないが、今から紹介する『台湾の日本仏教―布教・交流・近代化―』(勉誠出版刊、2018年8月)には、その「生々しさ」が散りばめられている。
本書は、この分野を専門とする日本そして台湾の24名の研究者による14の論文と10のコラムで構成されている。タイトルの「台湾の日本仏教」とは、言うまでもなく、1895年以降1945年まで日本が統治した台湾における日本仏教の布教およびその展開を指している。
当時、実に多くの日本の仏教教団が台湾に進出していた。それは台湾が日本の植民地となったことが契機となっているのだが、その契機が従軍布教であったことはあまり知られていない。
台湾における日本仏教の研究は、本書にも寄稿されている松金公正氏の「真宗大谷派による台湾布教の変遷―植民地統治開始直後から台北別院の成立までの時期を中心に」(『アジア・アフリカ言語文化研究』71号)や、同じく寄稿されている中西直樹氏による『植民地台湾と日本仏教』(三人社)など精力的な研究が見られるが、いずれにしても各宗派ごとの個別的な研究であったことは否めない。
本書の魅力の一つとして、いままで個別的に進んでいた研究の一端を紹介することによって日本仏教の各教団の活動を俯瞰で見ることができることが挙げられる。
また、台湾における研究では、同様に寄稿されている闞正宗氏による「台湾日治時期仏教発展與皇民化運動」(博揚文化出版)に代表されるように、日本仏教を「侵略―抵抗」「支配―従属」といった二項対立で捉え、そして日本仏教は、「皇国仏教」だといわれている。
たしかに、戦前の日本仏教は、特にアジア方面に向かっての布教においては、普遍性は弱かった。その原因として挙げられるのは、明治政府の神仏分離令により始まった廃仏毀釈運動である。これにより危機的状況に陥った仏教教団は、新しく領土となった台湾へ活路を見いだした。だが台湾を仏教の新天地と見たのかというと、そうではなく従軍布教として日本の植民地政策に自ら組み込まれていくことに活路を見いだしたのだ。
実際、当時の日本仏教は日本の国策に則った形で海外進出し、地域としては東アジアを中心に、北米、ハワイ、千島、樺太からやがては南洋など広範囲に教線を伸ばしている。