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「大坂拘様」での教如とその周辺(1/2ページ)

真宗大谷派正光寺住職・名古屋教区教化センター研究員 小島智氏

2019年2月15日
こじま・さとし氏=1966年、名古屋市生まれ。大谷大大学院文学研究科仏教文化専攻修士課程修了。専攻は真宗史。名古屋大谷高講師を経て現職。

1570(元亀元)年より始まった大坂本願寺と織田信長の「石山合戦」は、1580(天正8)年閏3月5日、「勅命講和」という形で終結を迎え、4月9日、門主顕如は紀州鷺森へと移る。しかし、信長の裏切りを警戒する新門教如は徹底抗戦を唱え、「大坂拘様」と呼ばれる籠城を続けた。

もっとも、この籠城は長く続かず、同年8月2日に教如自身も大坂を退去するのであるが、この「大坂拘様」について、興味深い史料が水戸市の善重寺(真宗大谷派)に所蔵されている。教如本人の書状写と、側近として教如を支え続けた本願寺家老・下間頼龍の添状写である。この2通には、「石山合戦」終結時の本願寺内の状況が臨場感あふれる言葉で述べられ、顕如と教如の親子対立とともに、本願寺家臣の対立についても新知見が示されているのである。

そこで、本稿では善重寺蔵の2通をもとに「大坂拘様」を垣間見てみるが、真宗大谷派名古屋教区教化センター発行の『センタージャーナル』106号にて先頃発表した拙稿を要約し、補足を加えてまとめ直したものであることをお断りしておく。また、「上人」の敬称は略させていただく。

最初に、善重寺にある書状・添状写の翻刻を掲げる。

[A教如書状写]

  雖先便申下、重而染筆候。仍大坂事、信長与御間、種〻往来候。乍去、七月盆前可被明渡、令議定候。然者予事、既雖為家督、遣一往之不預御届、恣之御様躰、無曲儀候。殊蓮如上人已来数代 聖人御座所、法敵被汚馬蹄事、歎入付而、不能信用候き。雖然御門主連〻如御契約、結句閏三月九日、紀州雑賀庄之内、鷺森云所御退座候。其御跡可成程、是非共可相拘候覚悟候。隣国門下、悉致馳走候へとも、何共難側(測)、題目等出来候而、不及了簡候条、八月二日、俄退城候事候。残多儀候。其刻迄、雑賀者共籠城候而、尽粉骨候間、所詮彼等任異(意)見、至雑賀和哥浦着岸候而、于今在居候。御門主御間、右ニ申結付而、互非入眼候。就中、近日鷺森有謀人。佛法世法之儀、色〻申乱候由、其聞候。言語道断之次第候。自然其元、如何様事申下候共、不可能承引候。真俗共以諸篇、可為先規事、肝要候。次安心之一儀においてハ、信決定にて、弥佛恩報尽の称名、無懈怠様心懸、専用候。猶、按察法橋可申候也。穴賢〻〻

十月晦日   教如(花押)
     常陸
       諸坊主衆中
       同門徒中

[B了明(下間頼龍)添状写]

従 当御門様、被成 御書候。謹而可有頂戴候。抑今度大坂之儀、大御所様、閏三月九日、被成御退出候。然者、被残御諸数日、雖被成御拘候、不及御了簡仕合候。令出来、無是非至記(紀)州雑賀、和哥被移御座候。国衆崇敬被申事、不及是非候。一段御堅固御座候間、不可有気遣候。就者、御両所様御間之儀、謀人依申妨出にて、徧(偏)御不通事、笑止此事候。乍去、行末御入眼之儀、別儀御座有間敷候間、可心安候。然者、諸国色〻様〻、被仰下候由候。是併、謀人所行候間、不可有信用候。諸事、可為如先規旨、被仰出候。随而此方、御不如意之段、過仕候。此刻、各可被抽懇志事、可仏法興隆候。就中、於法義之段者、被顕 御文躰候。能〻有聴聞如御諚、可被相嗜事、専用候。此等之旨、可申下候由御意候。恐〻謹言

十一月朔日  了明(花押)
       常州
         諸坊主衆中
         同門徒衆中

漢字は常用漢字を用い、適宜句読点を補った。なお、旧稿で「諜人」とした箇所は「謀人」とも判読でき、後述の同日付文献も参考に改めて検討した結果、「謀人」と訂正している。[A][B]とも年次が記されていないが、書かれている内容から天正8年と判断でき、また、文中に「閏三月九日」とあるのは、正確には「四月九日」のことである。

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