新発見『禅家説』と「達磨宗」 ― 中世禅の再考≪7≫(2/2ページ)
早稲田大日本宗教文化研究所招聘研究員 和田有希子氏
まず①から③は、坐禅の作法や、坐禅中の留意点などを具体的に示す。そして、禅の境地を示す先徳の偈頌が並び、『伝心法要』『宛陵録』の全編が置かれる。⑪⑫で、禅の境地と坐禅の心構えが示され、⑬の『仮名法語』を挟んで、⑭⑮に大慧宗杲とその師に当たる圜悟克勤の文献が掲載されている。
ここで、圜悟克勤―大慧宗杲(以下大慧と表記)―如々居士に師弟関係があることに着目したい。士大夫を対象にした大慧に対して、より庶民層を対象にした如々居士の②「初学坐禅法」には、初学者に対する坐禅の心得を説く中で、大慧の説を引用する部分も収録されている。
同じく如々居士の③「順和尚十頌」は、初心者から段階的に禅の修行法を説く興味深いもので、彼の禅風を示している。如々居士の典籍は、日本では広範に普及してはいないようだが、横浜市称名寺蔵の『法門大綱』や『坐禅儀』に引用があり、『法門大綱』は、表紙裏に『円覚経』に対する大慧の頌が確認され、やはり大慧のものと一緒に重視されていたことがうかがえる。能忍との関連から推測すると、仏照禅師が大慧門下であることから、能忍の奥書を含む『禅家説』がその教説を受容していることは不自然ではない。
最後に、『仮名法語』を確認したい。『仮名法語』の特徴は、人々の能力(機根)に合わせた具体的な修行法を説くことだ。まず、上品・下品のもとに上根・中根・下根を立てる。上品は、迷いを知らない人、下品は、久しく迷いを有する人とされる。その中で上根は、善知識の教えにより忽ち悟りに達する人、中品は、深奥な世界に心を寄せることで悟りに至れる人、下品は、目指すところを心にとめてもすぐ忘れてしまう人とされる。
『仮名法語』は、末法に入って200年たった、人々の能力が低い世を想定しており(このことから『仮名法語』の成立は1252年以降と分かる)、下品に対する救済の眼差しが強い。下品が意識的に悟れるよう心がけるのも難しい場合は、ひたすら坐禅をすることを勧め、末法には坐禅が万人に適した修行方法と説く。
加えて『仮名法語』は、女性二人に向けた法語も掲載しており、女性に対する禅の説き方を窺う重要な史料といえる。このように、修行者の能力を踏まえて禅の修行法を説く『仮名法語』は、先述の如々居士の著作などとも方向性を一にするといえ、『禅家説』全体に、初学者へ禅を示す一貫した意図があったものと思われる。
以上のように本書は、不明な点の多い能忍やその周辺の活動の実態を示す重要な史料を含んでいることに加え、大慧系の典籍を取り込み、末法の人々に対する具体的な禅の眼差しを示すテキストとして重要なものである。しかし、先述のとおり、収録された複数の禅籍の配置には、本書の一貫した意図が読み取れるものの、『禅家説』全体を能忍一門のものと断定してよいかについては、現時点では確証を得ない。
そのような中で、『禅家説』に収録される大慧系やそれ以外の中国禅籍の、当時の日本の禅宗界における受容の様相など、能忍周辺を探る上で確認すべき課題が残されている。こうした禅籍や『禅家説』の特徴が、鎌倉期の禅宗界に重大な影響を及ぼした『宗鏡録』のような禅籍などとともに、当時のどのような禅の潮流を形作っていたのかという視点からの検討も今後必要になるだろう。