親鸞の「即得往生」観(1/2ページ)
真宗大谷派西念寺住職 豅弘信氏
近年小谷信千代氏(大谷大学名誉教授)によって、曽我量深に代表される所謂近代真宗大谷派教学の系譜において形成されてきた往生理解を現世往生説、親鸞の往生論を誤解したものとする批判がなされてきた。
筆者などは、名指しこそないものの明らかに氏の問題提起を意識したと思しき論考を多数目にし、学界の活性化に寄与されるところ大だと感じていたのであるが、氏自身は「正当な論拠を挙げての反論は皆無」と発言され、また真宗大谷派出版部への抗議によって機関誌『真宗』2017年7月号への氏の新著の広告が掲載中止になるなど、そうとも言っていられない状況となっている。
そこで筆者は「健全な議論・批判」に基づく「教学の振興」の場の確保のため、浅学の身を省みず一文を認め、氏の論考に感じた問題点について指摘させていただくこととした。
氏の論考に対して筆者がまず感じる問題点は「初めに『臨終往生』ありき」というその姿勢である。
氏は『一念多念文意』の「即得往生というは、即は、すなわちという、ときをへず、日をもへだてぬなり。また即は、つくという。そのくらいにさだまりつくということばなり。得は、うべきことをえたりという。真実信心をうれば、すなわち、無碍光仏の御こころのうちに摂取して、すてたまわざるなり。(中略)すなわち、とき・日をもへだてず、正定聚のくらいにつきさだまるを、往生をうとはのたまえるなり」の文について桜部健師が述べられた「『正定聚に定まるのがただちに往生だ』という意味ではなく、『〈すなわち往生を得る(即得往生)〉と経文に言われているのは、正定聚に定まることを直截にそう言い表してあるのだ』という意味である」という一文を自身の考究の出発点(かつ結論)として挙げられるが、氏の考察は親鸞の往生観がいかなるものであるかの探究ではなく、親鸞の往生観が臨終往生であることの論証を目的とした、非常にバイアス〈偏り〉のかかったものであり、筆者は氏の論理展開に歪ささえ感じるのである。
氏は康僧鎧訳『無量寿経』(以下、『大経』)に一度だけ現れる、第18願成就文中の「即得往生」の語の特異性――異訳やサンスクリット原典・チベット訳等に比して、往生が命終後であるとの明言がない――に着目し、これが「現世往生説」を生み出すもととなったと指摘される。そして、この『大経』の異例な「即得往生」の語が他の浄土経典に説かれる臨終往生・命終往生とは異なる往生を説くものと誤解されないために、親鸞は『一念多念文意』で「即得往生」に解説を施したとされるのである。
しかし、私はあえて問いたいのであるが、往生が命終と明言されていないことが問題だと氏が指摘した第18願成就文は、浄土教教理史において「臨終往生」を語るものと了解されてこなかったのであろうか。
しかし、事実は逆で、親鸞在世当時の文献を紐解けば、この「即得往生」の「往生」がまさしく臨終来迎往生として、それも親鸞の師法然によって了解されていることが知られる。
元久元年(1204、法然在世中、親鸞書写の前年)11月書写の奥書を持つ『選択集』當麻寺奥院蔵本(往生院本)においてこの文は「念仏往生の願成就の文」として「諸の衆生有りて、その名号を聞きて信心歓喜して、乃至一念心を至して回向して彼の国に生ぜむと願ずれば、即ち往生を得て不退転に住す」(原漢文)という訓読で引かれている。「即得往生」は「即ち往生を得て」と訓まれているが、法然は「まことに十念・一念までも仏の大悲本願なおかならず引接したまう無上の功徳なりと信じて、一期不退に行ずべき也」(『西方指南抄』)と臨終の一声までの称名を勧めており、「即得往生」とは、臨終に即時に来迎を得て「安楽不退の国」(『漢語灯録』)への往生を遂げるとの意である。
成就文以外にも往生院本『選択集』は曇鸞『浄土論註』の「乗仏願力便得往生彼清浄土」を「仏の願力に乗って便ち彼の清浄の土に往生することを得」、善導『往生礼讃』の「衆生称念必得往生」を「衆生称念すれば必ず往生することを得」と訓んで、これらを尋常(平生)の称名によって臨終に「往生することを得」る証文としている。