東寺国宝御影堂の修理と弘法大師信仰(2/2ページ)
東寺文化財保護課長 新見康子氏
1897(明治30)年に制定された古社寺保存法によって、御影堂は国宝に指定され、国庫補助事業による文化財としての修理が行われてきた。文化財修理の考え方は、現状維持修理が基本である。単に傷んだ材を取り換えて補修するのではない。古い材でもいかせるものは使い残して、どうしても使えないものだけを取り換えるのである。このたびの修理では、屋根の葺き替えに加えて、木部や建具、錺金具の補修などを行う予定である。修理に伴う新たな調査成果が期待される。
御影堂の修理工事が進むと、檜皮や木材の取り外し作業により、堂内には大量のホコリや煤などが舞い上がるようになる。そこで、文化財修理を進めながら、一方で毎日の生身供や毎月の御影供などの年中行事を滞りなく行い、参拝者の安全をはかるため、弘法大師坐像を西院内の御影堂北にある大日堂(2000年再建)に遷座することとなった。
遷座の準備作業として、昨年4月より像を保護する仮厨子を制作して、大日堂内の東側に安置した。7月下旬、京都府・京都市の担当者立ち会いのもと、美術院国宝修理所の方々の協力によって、弘法大師坐像の御身拭いと遷座を行い、東寺一山の僧侶による開眼法要を行った。御影堂の内陣には、鎌倉時代に宣陽門院覲子内親王が寄進した釈迦如来立像・弥勒菩薩立像や、室町時代の愛染明王坐像が安置されていた。これらの仏像は、宝物館に移動して、昨年の秋の宝物館特別展とあわせて公開した。
一方、6月からは、大日堂の西側に仮設の御影堂(仮御影堂)を建設し、宝物館から仮御影堂へ、江戸時代の弘法大師坐像の安置を行った。この像は、御影堂の弘法大師坐像を写して彫ったほぼ同じ寸法の像である。修理工事中の祈願は、この像を本尊として、仮御影堂で行い、廻向はこれまで通り大日堂において行うこととなった。そして、内陣の本尊類・仏具類の移動を終えて、北面の大壇や天蓋、燈籠などの仏具類を移動し、南面の護摩壇を解体・搬出した。
こうして、昨年8月下旬までに弘法大師坐像の遷座と、本尊類・仏具類の移動は完了し、修理工事の事前準備は整った。
御影堂の修理を行うにあたり、喫緊の問題は、文化財修理と弘法大師信仰の両立である。特に修理現場となる御影堂は、弘法大師信仰の要ともいえる建物であり、鎌倉時代以来、何百年もの間、絶えることなく毎日の生身供や年中行事の多くが行われてきた。また、日々の祈願や廻向も行われ、毎月21日の「弘法さん」の日は、境内には千件以上の出店があり、数十万人もの人でにぎわっている。ゆえに、御影堂の修理と、年中行事を同時に滞りなく行うことは、非常に困難を伴う。文化財修理と信仰の総合的な視野からの判断が必要とされる。
修理にあたっては、文化庁をはじめ行政担当の方には、東寺の信仰についてご理解いただくとともに、参拝者へもご配慮をいただいている。秘仏の不動明王坐像が祀られている御影堂の南面では、修理前とかわらぬ祈りをささげる参拝者の姿に、何百年と続く祈りと誓いの風景をみることができる。修理工事中は、多方面にご不便をおかけすることとなるが、ご理解とご協力をお願いしたいと思う。