南方熊楠と仏教 ― 華厳思想・真言密教の影響(2/2ページ)
龍谷大世界仏教文化研究センター博士研究員 唐澤太輔氏
ここで、まずわかることは、熊楠が五種の不思議を挙げているのに対し、華厳では四種の法界が提示されている点である。五種の不思議が四種法界にどう対応するのかは、熊楠自身述べてはいない。また、具体的にどのような点が四種法界と異なるのかということも述べてはいない。――熊楠は、我々に想像する余地を残してくれたのである。つまり、後世に残された我々は、これら五種の不思議を、自由に組み立てて考え研究してよいのである。現に熊楠は、法龍への書簡の中で「事、物、理、心の諸相を思い思いに順序立てて研究せよ」と再三言っている。ただ、それでも絶対不可知の大日如来の大不思議だけは、我々は捉えきることはできない。
熊楠は「理不思議にこそ一切の分かりがある」と述べている。筆者は、五種の不思議において、人間が考えることがぎりぎり可能な「理不思議」こそが、最重要エレメントだと考えている。熊楠によると、様々なものが相即即入する「理不思議」においては、時に思わぬ発見や発明、的中も起こるという。熊楠はそのような事柄を「やりあて」と名付けた。時代をブレイク・スルーする鍵がそこにはありそうだ。
また筆者は、熊楠の言う「理不思議」は、四種法界でいうところの「理事無礙法界」と「事事無礙法界」を合わせたようなものだと考えている。もちろん「理不思議」=「理事無礙法界」+「事事無礙法界」という単純なものではないかもしれないし、そのように対応させることが果たして本当に意味のあることかどうかはわからない。しかし、間違いないことは、熊楠が、華厳思想と真言密教をカスタマイズして独自の世界観を表そうとしていたことである。
熊楠は、3年間、聖地那智山に孤居したことがあった。「南方マンダラ」は、那智山で生まれたものである。熊楠は、那智山に持っていった書籍の中に『華厳経』があったと述べている。しかし、彼の日記や書簡などを精査してみると、どうもこれは『華厳五教章』だったようだ。ともかく、熊楠は、華厳思想から少なからぬ影響を受けていた。
熊楠は「無尽無究の大宇宙の大宇宙のまだ大宇宙を包蔵する大宇宙を、たとえば顕微鏡一台買うてだに一生見て楽しむところ尽きず」(1903年7月18日付土宜法龍宛書簡)と言う。熊楠は、顕微鏡から見える、美しい極小の世界に、大宇宙を見ていた。これは、毛穴一つに仏全てが含まれているという華厳の教えにも深く通ずる言葉である。
熊楠の仏教理解あるいは華厳思想理解は、実際どれほど「正確」であったかは、まだわからない点が多い。法龍は、書簡で熊楠に対して「仏教では知れ渡っていることを無理やり持ち出してきているだけで教理をしっかりと押さえていない」「もう少し仏教書をしっかり読め」などと手厳しい言葉をかけることもあった。それでも法龍は、熊楠との書簡のやり取りを楽しみ、「南方マンダラ」が記された書簡群については「至上の宝物なり」とその思想性の高さに感心している。
熊楠に対する実証的資料研究は非常に重要だ。しかし、彼の思想を「展開」させるためには、必ず我々の想像力が必要となってくる。前述したとおり、熊楠自身がそれを許容しているのだ。そして彼自身がその想像力で真言密教と華厳思想とをカスタマイズしたものを打ち出しているのである。
「南方マンダラ」あるいは熊楠の五種の不思議の構造分析はなかなか難しい。しかし、分断・分裂の今の時代において、相即即入そして融通無礙を根本としながら、心と物、現実世界と根源的な場とを同時に見ることを可能にするような次元を探求しようとした熊楠の思想は、ますますその重要性を増してくるに違いない。そして、細分化され分節化されすぎた現代の学問の枠を打ち破るような、新しい包括的な知の在り方を示唆してくれるに違いない。