南方熊楠と仏教 ― 華厳思想・真言密教の影響(1/2ページ)
龍谷大世界仏教文化研究センター博士研究員 唐澤太輔氏
今年(2017年)は、南方熊楠(1867~1941)生誕150年ということで、各地で関連講演会やシンポジウム、企画展などが開催されている。
かつて、日本学・民俗学者の故カーメン・ブラッカー(1924~2009)は、熊楠を、A Neglected Japanese Genius、つまり「無視された日本の天才」と呼んだ。今から30年以上前のことである。しかし実は、我々日本人は、熊楠という存在を忘れていたわけではなかった。彼があまりにも巨大すぎて、捉えきれていなかったのだ。そして、そのあまりにも強烈な輝きに目がくらみ、彼を直視できていなかったのだ。
熊楠没後50年を経た頃から、研究者たちによって、彼が残した蔵書や資料の悉皆調査が行われ始めた。2006年には、旧熊楠邸の横に、南方熊楠顕彰館(和歌山県田辺市)が完成し、熊楠研究のプラットフォームが整えられた。さらに、今年3月には、南方熊楠記念館(和歌山県白浜町)が、リニューアルオープンした。また、熊楠の書き残した日記や書簡は、ゆっくりとではあるが着実に翻刻作業が進められ、その知の全貌を明らかにしようとする試みが日々活発に行われている。
ここで留意しなければならないことは、南方熊楠という人物を、ただ「丸裸」にすることだけに躍起になるとき、同時に我々の「想像力」もはぎ取られてしまう可能性があるということである。想像力、つまり熊楠の思想をカスタマイズして現代社会へと投げかける力である。
熊楠は、ロンドンに遊学していた時、真言僧侶・土宜法龍(1854~1923)と出会った。そして、二人はすぐに意気投合した。その後、何年にもわたり両者の間には熱い書簡のやり取りが交わされることになった。その往復書簡は現在、熊楠研究者の間でも、特に思想性が高いものとして珍重されている。
熊楠より一回り以上年上だった法龍は、書簡を通じて、時に誉め、時に挑発しながら、熊楠の思想の深化を促した。そして誕生したのが「南方マンダラ」の思想だった。しかし実は、この名称は、熊楠自身が付けたものではないのである。熊楠の没後、随分たってから、社会学者の鶴見和子(1918~2006)によって、この図を見せられた仏教学者の中村元(1912~99)が「これは南方マンダラですね」と言ったことに始まるものなのだ。最近は、これを「熊楠のダイアグラム」や「熊楠による不思議の錯綜図」などと呼んだりすることもある。
この図には、熊楠の深遠なコスモロジーが隠されている。熊楠は、この図を記して「世界」を表そうとした。彼は、近代科学によって知ることのできる領域を「物不思議」、心理学(今で言う脳科学)によって知ることができる領域を「心不思議」、物と心が交わり合う領域を「事不思議」と呼んだ。それらは、この図では、直線と曲線が入り乱れている処に相当する。そして、現実世界と根源的な場、自己と他者との間にあり、推論や予知などによって知ることのできる領域を「理不思議」と呼んだ。これを熊楠は、図の上部に彗星のように流れる線(ル)で表現している。さらに熊楠は、人智によっては捉えることはできない絶対不可思議な領域を「大日如来の大不思議」と呼んだ。それはもはや、言葉や図によって表すことはできないものである。
「物不思議」「心不思議」「事不思議」「理不思議」「大日如来の大不思議」、これらに関する熊楠の言説は真言密教の影響だけではなく、実は華厳思想の影響も大きく受けている。主に華厳思想における「事法界」「理法界」「理事無礙法界」「事事無礙法界」、すなわち四種法界の影響である。熊楠の法龍との書簡のやり取りには『華厳経』に由来する言葉が散見される。
ここでごく簡単にではあるが、四種法界についてまとめておきたい。華厳思想においては、区別・差別の現実世界を「事法界」、それに対する超差別の真理・実体を「理法界」と言う。そして、それら現象界と実体とが一体でありお互いが融通無礙につながる場を「理事無礙法界」、さらに事物と事物が際限なく影響しつながり合う世界を「事事無礙法界」と言う。